大型連載「監督」の第9弾は、今年90周年の巨人で9年連続リーグ優勝、9年連続日本一のV9を達成した川上哲治氏(13年10月28日逝去)を続載する。「打撃の神様」だった名選手、計11度のリーグ優勝を誇る名監督。戦前戦後の日本プロ野球の礎を築いたリーダーは人材育成に徹した。没後10年。その秘話を初公開される貴重な資料とともに追った。

   ◇   ◇   ◇   

監督時代の川上は、チームを「家族」と考えていた。勝ちには徹したが、選手が他球団にいってもコーチ、監督として役立つ人材に育てるのも、チームを預かる者の仕事と思った。

藤田、広岡、金田、長嶋、森、王、土井、高田、堀内ら門下生が監督に就いた。彼らに説いたキーワードの1つに「報恩感謝」の4文字がある。チームスローガンにも盛り込まれた。

川上は正力松太郎の知人、日本勧業銀行総裁・石井光雄から授けられた「勘の研究」「続・勘の研究」(著・黒田亮)という書物を正眼寺で読みあさった。そこから感謝と報恩の精神を学んだ。

川上の長男・貴光(よしてる)は「『自分が4番だから巨人は勝つんだ』と傲慢(ごうまん)な考えでいた父は、その気持ちが改まったと話していました」と変心を打ち明ける。

「父は感謝というものについて考えたことがなかったようです。貧乏で育って、ここでへこたれてはいけない、1本でも多くヒットを打ってお金を稼がなくてはいけないと懸命に走った。それがはたと、自分が周囲から支えられていることに気付いたと。そしてファンに応えるため、人に尽くすようになった。それは報恩感謝の教えが体にしみついたからだと思います」

報恩感謝――成績だけを上げるのは技術だけの小我の凡人で、社会に感謝の気持ちで取り組む人とは“器”が違ってくる。自我の欲にとどまらず、自分が生かされていることに感謝し、信頼しあう。それが人の道につながっていく。

哲治夫人の中崎董子(ただこ)は、叔母にあたる宝塚歌劇出身の高砂松子、男役スターだった神代錦にあこがれて宝塚に入った。1945年(昭20)2月4日、甲子園に近い西宮神社で結婚式を挙げた。川上は「9連覇は二人三脚のたまものだった」と感謝した。

川上 監督として、選手にはあすへの英気を養うのは、家庭という憩いの場だと話してきた。わたしがV9監督といわれるようになったのも、常にわたしを支えながら、勇気づけてくれた家内や子供たちのおかげだと思っています。なかなか監督の考えがコーチ、選手に徹底されないと、家内にぼやいたようです。そんなときに『パパが自分から選手、コーチの心になってみないと、その差は縮まらないのではないですか』と意見を述べてくれたことがあります。奥さんたちも、巨人軍の一員である――そう信じていました。

川上は「長嶋も、王もわたしが現役だった頃よりマスコミ攻勢が厳しかったと思います」と語った。巨人人気とともに、雑音も激しく、身内はたまらなかったはずだ。そこで選手の夫人たちは川上家に集って、ファーストレディーの董子を囲んで結束し合った。“婦人会”が内助の功を尽くしたのも強い川上巨人の象徴だった。 【寺尾博和】(つづく、敬称略)

連載「監督」まとめはこちら>>