東京6大学野球リーグが13日、開幕する。プロ通算525本塁打を誇る清原和博氏(56)の長男、慶大の清原正吾内野手(4年=慶応)もラストイヤーを迎える。大学で野球を再開し、主軸打者として狙うは神宮での本塁打。愛する家族のために。日刊スポーツの取材に、熱い思いを語った。【取材・構成=金子真仁】

-いよいよ開幕ですね

清原 ラスト1年、最高の状態で開幕戦に挑めたらと思ってます。

-大学4年の春、就職試験を受けたりは

清原 してないですね。

-就活の面接みたいな質問ですが、清原正吾さんはどんな人ですか

清原 先輩と後輩の懸け橋になれるような存在になりたいなって。マルチスポーツを経て、どうやったらチームビルディングがうまくいくのかにも共通点があったんで。いい組織を作れるように、先輩と後輩の懸け橋になれる存在がいいなと思ってます。

-少年野球をやって、中学はバレー部でしたね。

清原 大スターの長男という重圧から少し目を背けたかったのと、事件当時は父親を嫌いになって、まず野球の道から外れたくて。中3ではバレーボールと一緒にフラッグフットボールもやって、日本一を取りました。

-その流れで高校はアメフトに挑戦した

清原 そうです。それでアメフト部がコロナで活動休止になって、家にいる時間が増えて。弟が高校で甲子園目指すことを決めて、手伝いから始めて、また野球が好きになれました。

-大学での硬式野球再開については

清原 両親が一番喜ぶことはなんだろうなって思って。父親も社会復帰し出して、いろいろ頑張ってたので、僕も何かお父さんの生きる活力になれたらいいなっていうところで。

-取材でもお父さんの話を普通にしていますが、ためらいなどは

清原 そうですね…まぁ1回、父親が大っ嫌いになったんですけど。逮捕されて執行猶予明けて、初めて一緒に練習する時に、まず「ごめんね」って言ってくれて。今までのお父さんだったら本当にとがってて、怖くて、意地っ張りで頑固だったんですけど、事件を経て、ほんとに円くなったっていうか、優しくなったっていうか。だから僕は長男としてお父さんをもう1回元気づけてやろうって思ったんですよ。あの事件があったから今の家族になれてる、と思うんですよね。事件がなかったら、たぶん今より全然悪い関係性になってたなって。事件があって、父親が優しくなって、円くなって、もう1回家族でみんなやり直そうって4人が思えたので。

-繊細な話だし隠す人もいると思います

清原 事件当時は家のカーテンも開けられず、裏口から出入りしたりしんどかったです。でも僕は、もうこれ以上人生でしんどいことないだろうなって思ってるんで。あれに比べたら、ってマインドチェンジできるようになれてます。

-進路も決まる1年ですが、20年後はどんな大人になっていたいですか

清原 両親2人とも表に立つ仕事をやって、周りの方々から応援される仕事だったので。僕も20年後はいろんな方から応援されるような人間になりたいと思ってます。それに、唯一無二の人生を送りたいです。

-桜をバックに写真撮影させてもらいましたが桜の思い出はありますか

清原 あります。小学校の入学式、通学路に桜並木があって、そこで家族で記念撮影しました。

-本塁打を打ったらお父さん、どうなりますか

清原 泣くんじゃないですか? 弟の甲子園の時も泣いてましたし。

-泣かせる自信は?

清原 あります!

-何発くらい

清原 いや、もう、そんな、10発くらい打ちたいです! それと…開幕カードの東大戦が4月13日、14日で。14日がお母さん(亜希さん)の誕生日なんですよね。バースデーアーチ打てたら最高の思い出になるだろうなと思って、そのために今、必死に練習してます。

◆清原正吾(きよはら・しょうご)2002年(平14)8月23日、東京都生まれ。小3からオール麻布で野球を始め、中学ではバレーボール、慶応高(神奈川)ではアメフトに挑戦。慶大では22年秋にリーグ戦デビューし、ここまで通算で9打席1安打4三振。本塁打や打点はまだない。186センチ、90キロ。右投げ右打ち。弟の勝児は慶応高で昨年の春夏甲子園出場。