日本ハムの2軍投手コーチに就任する小林繁氏(55)が8日、若手育成のカギに「シカト」を掲げた。8日、秋季キャンプ中の沖縄・名護市内のホテルで会見。過度に介入はせず、選手の自主性を伸ばすことを重視する方針を明かした。「最初は(練習などを)見るだけで、私を(選手に)勝手に意識させる」。あえて“無視”して存在感をアピールするつもりだ。

 右下手投げで139勝と一時代を築いた名投手の独自の哲学は、指導法でも一貫していた。9日、国頭村から名護市へと場所を移す秋季練習へ合流。「まずは人間と人間、信用するかどうかが大事。教えたりはしない」。選手との初対面で言葉ではなく、人間力で勝負。歩み寄るのではなく「シカト」して選手の特性を見極める考えでいる。

 その根底にあるのは、自身の数奇なプロ人生。78年の「江川事件」で巨人から阪神へ移籍。悲劇のエースと呼ばれたが、その後、沢村賞、最多勝のタイトルを獲得。好奇の目にさらされながらも影響されず、わが道を貫いて実績を残した。技術だけではなく、選手教育も重要なポジション。教えを請おうとしない選手には「損するのは君だよ」と突き放し、逆に向上心をあおるつもりだ。

 近鉄で97年から梨田監督らとともに5年間、投手コーチを務め、昨秋からは韓国SKで指導者として再スタート。今年のアジアシリーズ韓国代表の土台となった強力投手陣を築いた。「もう野球はやらないと思っていた」という日本復帰だけに気合も十分。来季へ具体的な目標も設定した。右のダルビッシュに続く左腕エース、ロング救援、左右の中継ぎと最低でも「4枚」の1軍供給を掲げた。親子ほど年の離れた成長株たちに迎合せず、一流のプロを育てる。【高山通史】

 ◆小林繁(こばやし・しげる)1952年(昭和27年)11月14日、鳥取県生まれ。由良育英高(現鳥取中央高)から神戸大丸を経て71年ドラフト6位で巨人に入団。76年から2年連続で18勝を挙げる。79年に江川事件で阪神へ移籍。その年、22勝9敗で最多勝。83年に引退。スポーツキャスターなどを経て97年から5年間近鉄コーチ、昨年は韓国SKの2軍投手コーチを務めた。プロ実働11年間で374試合に登板、139勝95敗17セーブ。防御率3・18。