読売新聞グループ本社社主で、巨人名誉オーナーの正力亨(しょうりき・とおる)氏が15日午前5時5分、敗血症のため東京都港区の北里研究所病院で死去した。92歳だった。64年に巨人オーナーに就任。96年に退任するまで32年間にわたって同職を務め、リーグ9連覇など巨人の黄金時代を支えた。葬儀・告別式は近親者のみで行い、後日お別れの会を開く。

 野球殿堂入りした正力松太郎氏の長男として生まれた亨氏は、常勝巨人のトップとして黄金時代の確立に尽力した。64年5月にオーナーに就任すると、翌65年からV9(9年連続日本一)を達成。「巨人軍は伝統を積み重ねていかなくてはならない。現状に満足してはいけない。停滞も許されない。絶えず前進あるのみ」と、貪欲に勝利と栄光を追い求めた。

 78年の江川事件、85年ドラフト会議での桑田指名など何度も批判の矢面に立ったが、時には手段を選ばずチーム強化にまい進した。打撃不振で阪神に優勝をさらわれた85年オフにはロッテ落合の獲得を熱望し「原以外なら誰でも出す」という条件でロッテに極秘トレードを申し込んだ。翌年中日にさらわれたが、最後まで執念を燃やした。

 「オーナーはスタープレーヤーであってはいけない」として在任中、中心となって球団の意思決定を行っていたのは読売本社、球団フロントだったが、節目で指導力を発揮。88年には9月28日の阪神戦の試合前、王監督をオーナー室に呼び解任を通告した。去就がくすぶり続けた「世界の王」の首に鈴をつける役割を担い、存在感を示した。

 96年12月の渡辺恒雄新オーナー誕生に伴い、名誉オーナーに退いた。在任中は頻繁に渡米して大リーグのチームを日本に招き、アジア各国との交流を盛んに行うなど野球界の発展に関する国際的な視野にも富んでいた。慶応普通部時代は投手で4番を務め、慶大在学中は4年間野球部のマネジャー。まさに野球に情熱をささげた生涯だった。