「挑戦者はベストを求めず、ベターを常に準備する」

僕が40歳でJリーガーを目指したのには2つの大きな理由があります。ひとつは「人生の後悔を取り返しにいく」こと。もうひとつは「進むべき道を見失っている人に勇気を与える」ことです。ひとつ目に関しては既に当コラムでも語ってきていますのでここで細かく説明する必要はないと思っています。今回はその2つ目、「進むべき道を見失っている人に勇気を与える」ことについて深掘りをしたいと思います。

僕はJリーガーを目指す前は、自分が進みたい道がわかっていながらも、その道を選ばず「大人として」「社会人として」聞き心地の良い理由を並べて自分を納得させながら毎日を送っていました。もちろんその中には自分に向いている仕事だと思うこともあったので、全てを我慢しながら仕事をしていたわけではありません。しかし、進みたい道を見失っていたことは紛れもない事実です。

そんな時に知人からこんなことを言われました。

「世の中には2つの問題がある」と。ひとつは「答えがある問題」。もうひとつは「答えのない問題」です。答えがある問題は受験や就職に必要とされる他人からの評価が前提のものです。その中で生きてきた僕ら40代は、まさに答えのある問題を必死に解かされ、人と競わされてきました。教養や生きる知恵ではなく、暗記で知識を詰め込まれ、誰かが答えを持っている問題に必死に取り組んできました。

その結果、いい大学に行くことが正義で、いい就職先に就いてお金を稼いで車や家を買い、結婚することが幸せの条件だと思わされてきました。その時代で言えばまさにそれが正解だったのも事実です。しかし、時は流れ、時代が変わり、気がつくと心のどこかにぽっかりと穴があいた40代が急増していると思います。それは「答えのない問題」がこの世にはあり、それが時代の流れと同時に目の前に出題され始めたからです。

幸せとは何か? 人生とは何か? 何のために仕事をしているのか? さまざまな問いが「答えのない問題」として押し寄せてきます。それを必死に考え、答えを出そうとするのですが、いい答えはなかなか出てきません。そこには学生の時に散々使っていた参考書や社会人になってから何度も見直したマニュアルといったものは一切ないのです。この問いへの答えを持っている人はたった1人。それは自分自身なのです。

人生をどう生きたいか。どうありたいのか。僕ら40代は誰かが答えを作ってくれていました。「答えのある問題」を必死に解いてきたので、急に「答えのない問題」を出されてもどうしていいかわからなくなってしまいます。そして気がつけばプライドを捨てられず、過去の栄光にしがみつき「老害」なんて呼ばれ始めています。自分自身もこんな自分では嫌だと思いながら必死に考えてみるのですが、答えが出ないのです。 その苦しみはゴールのないマラソンを走らされているようなもの。時代はゴールを自分で作って走るマラソンと、ゴールのないマラソンを走る人の二極化になり、40代はまさにその渦中にいます。僕はそんな同志に勇気を与えたいのです。

僕はエリートでなければ、才能あふれる人間でもありません。ただの凡人であり、一般人です。そんな僕が少しでも周りから「いいね」と言われるのは必死に自分の人生と向き合い、もがいて、あがいて、泣きわめいても前を向いているからだと思っています。僕は答えのない問題に毎日毎日向き合うことで、少しでも本質的な自分に出会おうとしています。

Jリーガーから格闘家へ転向した時も激しいバッシングを食らいましたが、それでも歩みを止める気は全くありません。それは僕の拳が誰かの勇気になると思っているからです。43歳のおっさんがリングの上で闘う姿が滑稽でも、必死に自分の人生の答えを探そうとしているのです。

僕の姿を見て、心にあるわずかなろうそくに火が灯るならば、まだまだ戦い切れる体力と気力が40代にはあります。僕らはいつだって挑戦者です。ロッキーが右手の拳を突き上げて挑んだ姿に感動したように、僕らも右手に拳を上げて1歩前へとその足を踏み出したい。

「答えのある問題」を生き抜いた僕らは常に100点を求めてしまいます。だからその1歩が出ないんです。答えがわかれば出せる1歩も、何が正解か分からないからその1歩で崩れてしまう何かにおびえているんです。

でも、大丈夫です。僕は何度も何度も失敗しています。そのトライ&エラーの結果、僕は気がつきました。1回のチャレンジで100点を取るのではなく、100回のチャレンジで100点を取ればいいんだと。チャレンジをする時は1点でいい。その積み重ねこそが僕らができる圧倒的に地味な努力だと思います。

「挑戦者はベストを求めず、常にベターを準備する」

100点は出せなくても1点は出せる。それは理不尽も不条理も経験してきた努力量の違いです。だからこそ、その時出せるベストではなく、いつ出してもベターになるよう最高の事前準備をしておくのです。そうすることで結果として、ベストな成果が生まれると思ってください。

僕の挑戦はどこかで誰かの勇気になるまで続けます。その拳、一緒に突き上げてみませんか。

◆安彦考真(あびこ・たかまさ)1978年(昭53)2月1日、神奈川県生まれ。高校3年時に単身ブラジルへ渡り、19歳で地元クラブとプロ契約を結んだが開幕直前のけがもあり、帰国。03年に引退するも17年夏に39歳で再びプロ入りを志し、18年3月に練習生を経てJ2水戸と40歳でプロ契約。出場機会を得られず19年にJ3YS横浜に移籍。同年開幕戦の鳥取戦に41歳1カ月9日で途中出場し、ジーコの持つJリーグ最年長初出場記録(40歳2カ月13日)を更新。20年限りで現役を引退し、格闘家転向を表明。同年12月には初の著書「おっさんJリーガーが年俸120円でも最高に幸福なわけ」(小学館)を出版。オンラインサロン「Team ABIKO」も開設。21年4月に格闘技イベント「EXECUTIVE FIGHT 武士道」で格闘家デビュー。175センチ、74キロ。

(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「元年俸120円Jリーガー安彦考真のリアルアンサー」)