東京オリンピック(五輪)が終わり、あらためてスポーツの価値とアスリートの価値を再検証しなければならないと思っています。

僕は今回の東京オリンピックは社会に何も残せなかったと感じています。多くの人がスポーツの持つ力、魅力について語っていますが、結局はお金のことしか考えていなかったのが現状だと思っています。

そして今更と思うかもしれませんが、オリンピックが終わればそれでいいということではなく、これからのスポーツ界のためにも、オリンピックを開催して何が良かったのか、何が問題だったのかを国民ひとりひとりが議論を重ね続けることが大事だと思います。最も大事なのはアスリートが声に出して、もっと真剣にこの状況を捉えていかなければいけないということです。

例えば、選手は「なぜ今、オリンピックを開催するべきなのか」という視点で共同声明を出すことが必要でした。「これまでの努力が-」「出られない選手の分も-」など、そういったきれい事ではなく、この時期にアスリートとして何を思い、何を背負っているのかということを世の中に投げかけるべきでした。

競技でもメダルをとることだけにこだわっているうちは、本物のアスリートにはなれないのではないかと思っています。アスリートとは、感動を生み出し、人の心を揺さぶり、活力に変えられる人です。世の中にはスポットライトを浴びることができていないアスリートもたくさんいます。それを受け入れられるかどうか、全てのスタートはそこから始まると思います。

コロナ禍でのオリンピックはチャンスだったはずです。もっともっとアスリート自身が感染対策について自らがアピールをしたり、実際にドクターに現状を聞いたり、世の中に伝えるべきことはたくさんあったはずです。もちろん、全力で努力をしているアスリートへのリスペクトはありますが、このままでは自分さえ良ければいいという私利私欲が優先されたオリンピックのイメージしか残らなくなります。今回の五輪では、努力を続けたプレーヤーとしての結果と、日の丸を背負い、社会に必要なメッセージを発信できる一個人としての隔たりがハッキリとしていました。

アスリートはもう1度考え直すべきです。自分の価値を表現する場を誰かに与えてもらわないとできないのでは未来につながりません。今回の選手のコメントを見ても、身内への感謝がほとんどです。メダルうんぬんがなくても存在意義があるアスリートと、そうでないアスリートが顕著に表れたと思います。ファンを喜ばせられる選手こそ、真のアスリートだということです。

サッカーの場合でも、90分だけで何かをするのではなく、その前後で何をするべきなのかを考えることが必要です。生きざまやビジョンや考え方を見せて、その試合の結果うんぬんを超越することがこれからのアスリートには求められると思います。このままでは小さい世界でチヤホヤされているだけで、気がつけばスポンサーのモルモットになってしまいます。

そして僕が一番気になったのは、オリンピアンが自らの価値を自らの手で落としていることに気がついていないことです。価値だけならまだしも、リスペクトまでなくしてしまう露出は残念でなりません。

例えば、バラエティー番組に出て、報酬として100万円をもらえるとします。多くのアスリートがそのお金に飛びつくことでしょう。しかし、それでオリンピアンへのリスペクトを作ることはできません。今の100万円は未来の先食いです。バラエティーに出る意味は何でしょうか? そこで笑いを届けることが本当に必要なのでしょうか? 選手や競技の認知度向上につながる可能性があるかもしれませんが、アスリートへのリスペクトを生みだし、次の世代を育てるためならば、他にもやり方はあるような気がします。

今こそ本気でアスリートが未来のスポーツ界について話し合い、議論を重ねなければ、本当に未来はないと思います。スポンサーに頼れば、スポンサーがいなくなったらおしまいです。もしDAZN(ダゾーン)がJリーグから撤退したらどうなるのでしょうか? アスリートひとりひとりの自覚が問われています。

誰かが矢面に立って発信していかなければ、10年後、20年後には沈みかけた船を次の世代に渡すことになります。今いる多くの「逃げ切り世代」が腐ったバトンを渡してきた時、我々40代は「見て見ぬふり世代」となり、最悪な未来を子どもや孫世代に渡すことになります。それはアスリートがよく言っている「恩返し」には全くならないことを自覚して欲しい。僕もその当事者として、挑戦をしながらスポーツ界が培ってきた素晴らしい仕組みやマインドをしっかり継承できるようにこれからも声を上げていきたいと思います。

◆安彦考真(あびこ・たかまさ)1978年(昭53)2月1日、神奈川県生まれ。高校3年時に単身ブラジルへ渡り、19歳で地元クラブとプロ契約を結んだが開幕直前のけがもあり、帰国。03年に引退するも17年夏に39歳で再びプロ入りを志し、18年3月に練習生を経てJ2水戸と40歳でプロ契約。出場機会を得られず19年にJ3YS横浜に移籍。同年開幕戦の鳥取戦に41歳1カ月9日で途中出場し、ジーコの持つJリーグ最年長初出場記録(40歳2カ月13日)を更新。20年限りで現役を引退し、格闘家転向を表明。同年12月には初の著書「おっさんJリーガーが年俸120円でも最高に幸福なわけ」(小学館)を出版。オンラインサロン「Team ABIKO」も開設。21年4月に格闘技イベント「EXECUTIVE FIGHT 武士道」で格闘家デビュー。8月27日に同大会で第2戦に挑み、2戦連続でKO勝利。175センチ、74キロ。

(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「元年俸120円Jリーガー安彦考真のリアルアンサー」)