大仁田厚(59)が10日、東京・水道橋のプロレスショップ闘道館で会見を開き、「2017年10月31日、後楽園ホールで引退します」と引退を宣言。

 同日の試合を含めた「さよなら大仁田 さよなら電流爆破 大仁田厚ファイナルツアー」を開催すると発表した。

 大仁田は過去6回、引退しており、今回が7回目の引退となる。その事実も踏まえつつ「ひんしゅくも買ったと思う。でもプロレスを愛する気持ちは、誰にも負けない。何だかんだ言って途中、肺血腫になり気管切開をしたし、ブランクもあり、政治活動やいろいろなことをやって差し引くとプロレス人生40年…幸せな時間をプロレスにもらった。僕の青春だった」と、しみじみ語った。

 今回の引退の背景には、肉体の限界がある。16年8月に右尺骨、同11月に左かかとを剥離骨折、同12月に腰椎を骨折し、右手には手術でチタンの板を入れた。そこを爆破王選手権奪回に成功した2月の船木誠勝戦で再び痛め、右尺骨骨幹部を骨折。7カ月で4度の骨折に見舞われた。

 以前には、1983年(昭58)4月のヘクター・ゲレロ戦後、左膝蓋(しつがい)骨粉砕骨折の重傷を負った。14年5月には、両変形性膝関節症(軟骨損傷)と診断され、緊急手術を行った両ひざは、靱帯(じんたい)も損傷しボロボロ。縫った全身の傷は1499針に達した。「ここ(右手首)にチタンの板が入っているんですけど、昨年だけで骨折を3回…腕と腰を骨折しまして。一生懸命やれるのは、これまでかな」と言い、涙を浮かべた。

 後楽園ホールを最後の場に選んだのは、自身にとって節目の場所だからだ。1974年(昭49)4月14日の全日本プロレス後楽園ホール大会の佐藤昭雄戦でデビュー。左膝蓋(しつがい)骨粉砕骨折の重傷を負った後、付け人も務めたジャイアント馬場さんに引退勧告され、85年1月3日に引退式を行った。大仁田は「馬場さんに引退式をしてもらったのも後楽園ホール…僕の思い出の地であり、青春を駆けめぐった聖地であるものですから、ここがいいと思いました」と語った。

 大仁田は「武士に二言はないという言葉を今回使わせていただき…プロレスラーに二言はない。どの口で言っていると言われるかもしれないけど…2度とリングでファイトするつもりはない。帰ってきません」と断言。そして「7度目の正直は…あると思います」と完全引退を再度、明言して会見場を後にした。【村上幸将】