乃木坂46、4期生の林瑠奈です。



ッッッフォッッッッ



前回のコラムでも書いたように、


これから先夏といえば「セミ」が思い出され、





林の夏の風物詩の中に


セミがメンバー入りを果たしたのですが




夏といえばで


他にも思い当たることがありまして。




それは、“今しかない”を


実感しがちということ。




はっきり言ってしまえばこれは夏に関わらず、


そのときその瞬間は二度と戻ってこないですし




冒頭の「ッッッフォッッッッ」も


今となっては過去の出来事




だから我々は生きているのですが。





夏をテーマとした青春ものの物語が多いからか


夏休みという思い出を作れる時間が


沢山あるからか






毎年夏が来ると、


今しかない時間を楽しみたいなという思いが


強くなります。





昨年の夏を思い出します。






コロナ禍となり例年のように外出をしたり、


夏という夏を満喫できたかと言われれば


それではなかったと思います。





実際当時の林は、


「昨年の夏は充実してたなぁ、


高二の夏なんて1番楽しめる時期やのにな」




そんな風に思っていたのをすごく覚えています。






そのときは。




1年経った今、


1年前のあの夏はそれもまた決して戻らない


貴重な時間だったなと思えます。






もし“楽しさ”を数値化できたなら、今年の


夏の方が昨年の夏より大きな数を表すでしょう。





でも何故でしょうか。






古いアルバムをめくったとき、写真に残る


昔の自分が何故かキラキラして見えて






今だって充実した日々を送っているのに、


その写真に反射した今の自分が


霞んで見えるのは。






そのときは、どんなにしょーもないだとか


楽しくないと思っていても






思い出というのは時が経つごとに


輝きを増すものなのかなと思います。






キラキラ輝く思い出を見て、


戻りたいと思っても戻れません。






とは言え毎年戻りたいなと思ってしまう


瞬間はあるんですけどね。






今年こそはと意気込みますが


成功したことはありません。






だからここに書くことで


意識をより強く持とうかと。






後悔のない夏が過ごせますように。






それでは失礼します。




P.S.


肝心なことが


解決できないまま終わってしまった。




夏を、儚く切ないと思うのは


一体何故でしょうか。


(ニッカンスポーツ・コム「乃木坂46林瑠奈 負けるな!しょげるな!乗り遅れるな!」)