4月に駒大法学部政治学科に社会人特別入試を突破して入学した東貴博(51)。新型コロナウイルス禍で仕事が減る中、逆境を生かして新しいチャレンジを始めた。妻のタレント安めぐみ(39)との間の長女詩歌(うた)ちゃん(6)も小学校に入学して、東家には1年生が2人いる。今年の大みそかに、1988年(昭63)にコメディアンの父東八郎さんが亡くなった時と同じ52歳になる。“ピッカピカの東MAX”に心境を聞いてみた。

★「全員にごちそう」目標

4月に大学生になった。51歳の大学1年生だ。

「授業は、ほぼリモート。最初だけ新入生セミナーでキャンパスに行きました。自己紹介したんですよ。マスクして帽子かぶって、前の方に座って、名前も『飛田』(本名)だから、半分くらいは俺と分かっていない。『社会人入試で入ってきた51歳の大学生です』『仕事は芸能人。なのであまり気軽に話しかけないでください、芸能人扱いしてください』、みたいな(笑い)。『この4年間でやりたいことは、クラスの全員にご飯をごちそうすることです』って言って、ひと盛り上がり(笑い)」

年下の同級生たちと友達になった。

「ウキウキですね。教室で授業がある時は、俺もパソコン開いて、固まったりするから『ちょっと教えて』って言う具合で。大学は18歳くらいで行くより、大人になってからいく方がメチャクチャ楽しいと思いますよ。『お父さん、いくつ』と聞くとだいたい年下。『45歳です』みたいな(笑い)。リモート授業はライブもあるし、録画のオンデマンドもある。1・5倍速にして見たり。ただ、リポートがね。書くのはワーッと書けちゃうんだけど、パソコンに打ち込むのに2時間かかる」

★娘の明るさ元気もらう

詩歌ちゃんは同じ1年生でも小学生。

「娘は朝早くて、毎朝6時起きです。だから今、1日が長い。朝6時に起きて、7時に駅に送ってとか。日によっては僕が学校まで送って帰ってきて、そこから(リモート)授業をやって、仕事に行くとかね」。娘の明るさに元気をもらっている。「娘は、すぐ慣れました。早く寝るようになったし、朝早くピタッと起きる。同じ地域から電車に乗っていく子もいるんですけど、1人だけいやに元気ですね、やっぱり。1人だけはしゃいでるので、ちょっと心配ですね(笑い)」

★芸人になる気はなかった

大学進学は、師匠の萩本欽一(80)の影響だ。6年前の15年に、萩本は73歳で駒大仏教学部に入学。4年間通って中退した。

「最初に欽ちゃんに付いた時、40代で『大学に行く』って勉強していたんです。でも『忙しいから行かない』って。それで駒大に入ったから、ウワッて思った。すごく楽しそうに大学の話を聞かせてもらって『友達が永平寺に行っちゃって寂しい』とか(笑い)。知らない世界を見ているから、メチャクチャ楽しそうなのがいいなと」

芸人になる気はなかった。「子供の頃に売れない芸人をたくさん見ていた。面白くても食えなくて、貧乏をこじらせてやめていくから憧れはありませんでした」。

だが浪人中の88年、父八郎さんが、52歳の若さで亡くなった。

「おやじが死んだ時、葬式で欽ちゃんが『僕のところに来なさい』って言ってくれたから『はい』って。『君のお父さんに教わったことを、今度は僕が教えてあげるから』みたいなこと言って。で、結局、教えてくれないじゃないですか、何も(笑い)。欽ちゃんに付いていって、端っこの方で見ているだけ。そこに(Take2でコンビを組む)深沢(邦之)さんとかがいて『どうも』とか」

教わるものじゃなく、見て覚える-。受験勉強から芸の勉強へと変わり、フジテレビのバラエティー「ボキャブラ天国」に抜てきされたのが94年。20代半ばで売れっ子になった。

★安めぐみ「ああそう」

「仕事が途切れなかったんで、大学はもう忘れていた。でも2年くらい前に、娘が小学校に入るのに塾に通い出した。勉強すると、どんどん世界が広がっていく。俺、こんなちっちゃい時、こんなに楽しそうに暮らしていたかなって思ったら、勉強ってすごいなって。それで、コロナで時間ができて、いろいろ勉強を始めて、みんなに内緒で受験しようと。落ちたら黙っていようと思ったら、たまたま一発で受かっちゃった」

妻のタレント安めぐみには、話していた。

「あんまり本気にしてなかったみたいで『ああ、そう』くらいの感じ(笑い)。家では全然勉強しないで、大阪や名古屋に行き来する新幹線とか、近くの図書館とかでやっていました」

★八郎襲名「気持ち悪い」

大学入学は、父の八郎さんの願いでもあった。

「高校受験の時に『お前には大学に行ってほしい』と。おやじは“小卒”だったから。中学には入ったけど、家が貧乏でね。おじいちゃんは遊び人で、おばあちゃんは体が弱くて、クリーニング屋でアルバイトしながら暮らしていた。だから、学校行ってる余裕がなかったらしい」

40歳になった時に、残りの人生を考えるようになったことが転機と語る。

「あと何やってないだろうと、ずっと考えてやってきた。仕事もだけど、家を建ててないとか、別荘を建ててないとか。結婚もそうだし、子供も生んでねぇなとか。それで、大学行ってないというのも。人生でできることを次々、塗りつぶしてきた。あとは進級しないと。卒業して、師匠の欽ちゃん超えをしないとね(笑い)。あと何だろうね、やってないこと。大学行ってると、また新たなものが見つかるでしょうね。状況が変わると、やりたいことって、また出てくるんじゃないでしょうかね」

51歳。“人生100年”を折り返した。

「今年の大みそかに、おやじが死んだ52歳になる。40歳の時に、あと1回りの12年のうちに、やってないことをやろうと思ったから、52歳より先のことを考えていなかった。だから52歳過ぎてから未知の世界が広がっていく(笑い)」

大学という、父親の夢はかなえた。周囲からはもう1つの期待、「2代目東八郎襲名」の声もある。

「気持ち悪いでしょ(笑い)。たまに言われることはあるけどね。歌舞伎でも、落語でもないからね」

芸能人と大学生の二刀流。心配なのは大学1年生なのに140と高すぎる血圧。50代なら、まぁ普通か(笑い)。【小谷野俊哉】

▼放送作家・高田文夫氏(72)

父親(東八郎)の代から仕事をしている私ですが、東MAXはコネはあるし、万札で汗を拭くほど金はあるし、美人の妻はいるし、かわいい娘もいる。何でもあるようだが、悲しいかな学歴がなかった。父の悲願でもあった大学進学の道を50にして手に入れた。あとは父と欽ちゃんと私の夢“東京喜劇”の座長の椅子を手に入れるだけだ。人生のMAXはいよいよこれからだ(なんたって、せんだみつおの後輩になったのだから)。少し不安。

◆東貴博(あずま・たかひろ)

1969年(昭44)12月31日、東京・浅草生まれ。94年(平6)年に深沢邦之(54)とお笑いコンビTake2結成。09年に劇団「FIRE HIP’S」旗揚げ。安めぐみと11年12月結婚。現在のレギュラーはテレビ東京系「所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ!」、日本テレビ系「女神のマルシェ」、ニッポン放送「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」など。173センチ。血液型O。

◆東八郎(あずま・はちろう)

1936年(昭11)5月31日~88年7月6日。東京・浅草生まれ。中学卒業後コメディアンを目指し歌手田谷力三に弟子入り。64年トリオ・スカイライン結成。71年解散後は東八郎劇団結成。86年に私塾「笑塾」開設。フジ「志村けんのバカ殿様」など出演。

(2021年5月9日本紙掲載)