「ジャンガジャンガ」で2000年代中盤にブレークしてから露出が途切れない。お笑いコンビ、アンガールズ田中卓志(46)。「キモカワイイ」などいじられキャラとして長く位置づけられていたが、近年は「インテリキャラ」としての出番も増えている。4月からはフジテレビ系「呼び出し先生タナカ」(日曜午後9時)で初のゴールデン帯MCを務めている。芸歴23年目を迎え、すごみを増す田中に番組への思い、これまでの芸人人生について聞いた。【佐藤成】

★広島大学工学部第四類建築学部出身

取材前に田中に遭遇した。事務所のオートロックのドア前に記者、カメラマン、田中が並んだ。ゲリラ豪雨が降った直後だったため、「雨降られちゃいましたね」などと気さくに話しかけてくれた。ドアが開き、田中が先に会議室に入り、準備が整うと、我々が招き入れられた。取材が始まっても田中は飾らない。早速冠番組について聞いた。

「ゴールデン番組で司会やりたいっていうのは上京してからの夢だったので、それがかなったのがうれしいっていう気持ちです」

新番組は、何度か特番を経て、手応えをつかんでからレギュラー化されるケースが多い。「呼び出し-」は、突然始まった。

「ビックリしたっていう方がやっぱり大きかったですね。まさかっていう感じ。田中でいこうって思ってくれたことはスタッフさんにも感謝です」

「先生」という役回りで意識していることは?

「全員しっかり目立って楽しんで帰ってもらえたらなっていうのはすごく考えていますね。あれだけ人数がいて全員っていうのは難しいことだと思うけど、それを目指したい」

自身は名門・広島大学工学部第四類建築学部出身。勉強してきた自負はある。

「おバカ回答をイジるっていうのがベースにはなっているんですけど、自分が勉強している時に思ったことを多少入れたりはしたいですよね」

いじられキャラの要素もある田中だからこそMC像を確立している。

「いわゆるビシビシ回していくMCは無限にいるので、その辺は自分ぽい感じでやっている。隙がある程度あるっていうのとか、優しくっていうのはね。おバカタレントの人に寄り添いながら、怒るときは怒る。たまに自分でもボケたりする」

番組開始当初は、過去の人気番組にパッケージが酷似していると批判を受けることもあった。

「最初そういうのでつまずきかけたんですけど、いろんな先輩が『田中君は自分のやりたいようにやったらいいよ』って声かけてくださった。おれがやっていていいのかなって思うときもあったんですけど、自分がMCなんだから、全部背負ってやれることはやらなきゃな、っていう気持ちになった。今はとにかく面白い番組をって」

★進学、就職を蹴り芸人の道も…絶望

幼い頃からお笑いが好きだった。ネタ番組があるか、新聞のラテ欄を探した。「元々お笑いは好きで、大学3年の時かな。広島の誰でも出られるお笑いライブに山根(良顕=46)と一緒に出てみたりしていた」。とはいえ、芸人になろうと思ったことは1度もなかったが、大学3年の時にフジテレビ系お笑い番組「ボキャブラ天国」ブームが起こり、ネプチューンや爆笑問題、くりぃむしちゅーに魅せられた。彼らが売れて、トーク番組などで芸人になった経緯を明かしていると、「もし自分がおもしろいこと書けたら、自分でも入れるのかな」と思い始めた。大学院進学や、住宅メーカーへの推薦も決まっていたが、全て蹴り、お笑いの道に進んだ。

今同じ選択をするかと聞くと、「わからないです。成功するか全くわからないですもん」と笑った。資金をためて、親にもお笑いをやるとは言わずに上京した。ただ芸人活動はなかなか軌道に乗らなかった。芸能事務所に所属することにも苦労した。

「ネタ作って、人力舎さんとか浅井企画さんのネタ見せは行きましたね。受からなかったですけど。落ちるなっていう感じ。現場の反応で、スタッフさんからクスリくらいしか笑いがとれていなかったし。周りの人はすごくウケているなって。絶望でしたね」

田中と山根はともに大学の同級生と別コンビを組んでいた。しかし山根は芸能事務所へのネタ見せの時点で心折れ、ひと足先に広島に帰還。再び山根が上京してきたタイミングで田中も元相方と解散し、山根と組んだ。ネタ見せにいくと、初めて反応があり、現所属の「ワタナベエンターテインメント」に合格した。継続的に事務所のトップ層が出演するライブには出続けたが、とんとん拍子で売れたわけではなかった。

「テレビのギャラが入るわけではないし、仕事があるわけではないから、あいかわらずバイトはしました。都内のいろんなライブにゲストで呼ばれて、ちょっとギャラが出て500円とか。交通費と相殺されるんですけどね」

★間違いなく今も「ぼくたちの代名詞」

くすぶっていた彼らを人気者に導いたのは「ジャンガジャンガ」だった。元々、ロッチのコカドケンタロウ(44)の元コンビであるギャルソンズとの合同ライブで、ネタをつなぐブリッジとして、使用していたものを改良してアンガールズがショートコントにも採用したところ、ウケた。

「あれがないとちょっと今でもひょっとしたら、テレビ出ていないとか思うことありますよね」

「ジャンガジャンガ」についてどんな思いがあるか聞いてみた。

「ははは。どんな思いっていうか…昔はやったなっていう。僕らがテレビに出るきっかけになったので、すごくいいし、ネタもまあ面白いし。今でもたまにやってくれって言われるんですよ。見たいかなって思うんですけど、やっぱおれらの代名詞ではある。それを見たいって言ってくれる人が今でもいる。子どもとかは、ジャンガジャンガをやった時代を全く知らないんだけど、なんか笑ったりする。単純にネタとして面白いものなんだなと思う。ぼくたちの代名詞っていうことで今でも間違いない」

さらにこう続けた。

「そういうのがあって良かったなって思います。最初はこれで一発屋のルートに入っちゃったかなって思うところもあって、こういう売れ方大丈夫かなって思うところもあった。今となっては芸人の要素になっているので、いいかなって」

いじられキャラで芸能界を突っ走ってきた田中だが、ここ数年はお笑い賞レースの審査員や「先生」的な役回りを任されることも増えてきた。

「別に体張ったり、人に言われて返したりっていうのは今でもやっている。でもそういう要素以外のものも入ってきたのはすごくうれしいですよね。時代ごとに自分を構成する要素がいっぱい増えるのは芸能人として大事かなって思う」

ネタの講評などでも「コメントが的確すぎる」などとSNS上で話題になる。

「お笑いってなんかそんな細かく論理立ててやることじゃないし、もっと感覚的だなって思うこともあるんですけど、理系出身だからどうしても細かく分析して、これはこういう風になっているからウケているよねっていうことをなんか考えちゃうんです」

9月に芸歴23年目に突入。ストレートに4年制大学を卒業した新卒社会人1年目の年齢と同じだ。ここからも、田中のいろんな「要素」は増えていくに違いない。

▼アンガールズ山根良顕(46)

芸人を始めてから22年、この世界でいろいろな人と会ってきたけど、身近にいて一番努力してきたんではないかと思う人だ。本人はこの努力という言葉を恥ずかしがって話すのをやめてくれと言うけど、どんなに遊びたい時でもネタを書いてるし、お笑いの番組もよく見ている。大学生の時、バスの中のレクリエーションで司会をして先輩にめちゃくちゃダメ出しされてた男が、努力でゴールデンのMCまでたどり着いた。努力が才能を超える、いや努力する天才なのか? この男の隣でまだまだ新しい景色を見てみたい。

◆田中卓志(たなか・たくし)

1976年(昭51)2月8日、広島県生まれ。広島大学工学部第四類建築学部を卒業後、00年に山根と「アンガールズ」を結成。ネタ作り担当。プロ野球広島カープファンで、紅茶、バイオリンなど多趣味。テレビ東京系「有吉ぃぃeeeee!!」NHK Eテレ「ツクランカー」、RCC中国放送「元就。」TBS系「所さんお届けモノです!」、テレビ東京系「ぴったりにちようチャップリン」MBSラジオ「アッパレやってまーす!」など出演。188センチ。

◆「呼び出し先生タナカ」

田中が先生となり、ゲストの生徒に対して、テストを実施。その回答を教壇に立つ田中と副担任のシソンヌ長谷川忍(44)が中心となって振り返りながら展開していくバラエティー。最終順位で、総合最下位となった生徒は田中に呼び出されて説教される。