タレント明石家さんま(63)の師匠として知られ、2月22日に老衰のため、93歳で亡くなった上方落語界の最長老、笑福亭松之助(本名・明石徳三=あかし・とくぞう)さんをしのぶ会が7日、大阪市内で報道陣には非公開で開かれた。

さんまや月亭八方、桂小文枝や親交のあった元競泳選手の千葉すずさんらがあいさつに立ち、ハイヒールや木村祐一、桂ざこばら約200人の関係者が参列した。

終了後には、松之助の長男で弟子の明石家のんき(51)が取材に応じ、会の内容を明かした。

祭壇は、松之助さんが大好きだった富士山と笑福亭の家紋「5枚笹(ざさ)」で飾られた。「家でも楽しく、後輩の面倒見が良かった」と、父の印象を語ったのんきは会を振り返り「まさか、こんな盛大に楽しいしのぶ会になるとは思いませんでした」と、笑顔を見せた。

のんきによると、さんまは中締めのあいさつを行ったといい「普通のバラエティーのトークでした。自分が弟子の時に『さんま』と名前が付いた時、初めて師匠に『は?』って聞き返した」という思い出話などで笑いを取っていたという。

松之助さんの死去後、さんまはのんきに「お前、葬式とかしのぶ会とかちゃんとせえよ。後は俺が、お前らのことちゃんとしたるから。何か困ったことがあったらいつでも言え」と、気にかけてもらったと話した。

松之助さんは、医師から18年11月あたりで危ないと言われていたが、年が明けても元気で、死去する1週間前にはさんまとも会い「師匠、さんまです」「分かっとるわ」などとやりとりもしていたという。リハビリを始める話も出ていが、その1週間後、天国に旅立った。

のんきがすぐに師匠の死去をさんまに伝えると、さんまは「え?」と驚いたが「逝ってもうたか…しゃあないな。どんな感じやった?」。のんきが「普通に寝てるみたいな感じで」と伝えると「それやったらええわ。苦しんでなかったらそれでいい」という会話をしたとのんきは明かした。

松之助さんは「孫にも落語家をさせたい」と、のんきの長男が生まれる前から、名前よりも先に「笑福亭ポンタ」という芸名を決めていたという。孫にも落語家をさせたいという理由を松之助さんから「落語が廃れて細くなっても、小川が最後は広がっていくように、橋渡しの役割になって欲しい」と聞いていたのんきは「僕もその役目かなとは思っています」。父の思いを継いでいきたいと話した。