井上陽水(70)最大のヒット曲は90年発売の「少年時代」だ。陽水とともに作曲を手がけたのが音楽プロデューサーの川原伸司さん(ペンネーム平井夏美=69)。約30年にわたり20曲ほどを共作してきたパートナーだ。わずか15分でできたという「少年時代」の知られざる制作秘話や、意外と!? 謙虚な陽水の人柄などを明かしてくれた。

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川原さんが陽水と出会ったのは89年。その翌年、共作した「少年時代」がリリースされ、136万枚のヒットとなった。

「これまでに2人で20曲くらいを作ってきました。3年くらいかけて作った曲もあるけど、『少年時代』そのものは15分くらいでできた。陽水さんがいきなり歌い出して、『それ、いいですね』なんて言いながらできた曲です」。

あの名曲がわずかな時間で出来上がったのも驚きだが、もっと衝撃的なのは同名映画の主題歌だった同曲が、映画目的で作られたのではなかったことだ。

「私の父と陽水さんの郷里が同じ福岡で、父の卒業した中学校が陽水さんの高校です。同じ母校だから、曲が出来上がった時、最初は学校に寄贈しようと思ったんです。歌詞には『少年時代』という言葉は1つも出てこないでしょ。『少年時代』として作ったわけではないんですよ」。

映画は漫画家藤子不二雄(A)さんの作品が原作。陽水の手元には、藤子さんの書いた歌詞が既に届いていた。「3カ月くらい、ずっと映画のことを気にしていたんです。でも、この曲が出来上がってから、そういえば藤子先生から頂いていた、あの映画のテーマはこういう曲だよねと。提案をしたところ、一番ふさわしいということで採用されたんです」。

陽水の人柄を「自己完結型」だと説明する。「自分で切り開いて、自分なりの生き方をするのは今や当たり前ですが、その先駆者。それが今の若い人たちにも彼の世界観が受け入れられる理由だと思います」。

もう1つ。「常に謙虚であろうとしている」という。「若いころから、好きに生きてきて、多くの人に迷惑をかけてきたと思っている。だから『徳を積むことを心掛けている』なんて言うんですよ」。ジョークかと思いながら聞いていたが、川原さんは真剣だ。「精力的に取材を受けるとか、テレビに出演することもしないのは『おこがましい』みたいな思いがあるから。謙虚な人なんです」。

73年に発売したアルバム「氷の世界」が日本で初のミリオンヒットを記録した時は25歳。「当時のミリオンは、今なら500万枚売れたくらいすごい。レコードプレーヤーを持っている人は、ほとんど買ったということ。誰よりも早く成功した分、自分を冷静に見ることを早く体験できた。これまでに約45年、いろんなアーティストと仕事をしてきましたけど、すごく付き合いやすいです」。

川原さんが陽水との共作で心掛けているのは「明るいものを作ること」だという。陽水の9割はマイナーな楽曲で、明るいメロディーのメジャー系ヒットソングは「夢の中で」と「少年時代」くらいだと指摘する。「あの人にはネガティブではなくてポジティブな部分がたくさんある。それを引き出すのが僕の仕事です」。

平成とともにタッグを組んで約30年。気の合った2人からは、令和の時代でも歴史に残る名作が生まれそうな予感がする。【松本久】(おわり)

◆川原伸司(かわはら・しんじ)1950年(昭25)10月11日、東京生まれ。音楽プロデューサー。ビクターをへて、ソニー・ミュージックエンタテインメントのチーフプロデューサーとして大滝詠一、TOKIO、ダウンタウンらを手がける。ソニー在籍時から井上陽水、中森明菜らをプロデュース。「作曲家平井夏美」のペンネームで、松田聖子「瑠璃色の地球」など多数を手がけている。