さらば平成、ありがとう平成。30余年にわたる平成が終わります。あんなことがありました。こんなこともありました。プロ&アマ野球、サッカー、芸能、社会、中央競馬…と平成を通してがっつり取材してきた日刊スポーツ大阪本社のベテラン記者陣が、それぞれの分野での取材を振り返りながら、平成を語ります。

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河島英五さん、桑名正博さん、やしきたかじんさん…大阪が生んだシンガーに加え、三橋美智也さん、村田英雄さんも晩年は大阪へ。大阪から多くの昭和スターを見送った平成だった。

そして、昭和で滅亡しかけた上方落語を平成の隆盛に導いた四天王も5代目桂文枝さん、桂米朝さん、3代目桂春団治さんが旅立ち、6代目笑福亭松鶴さんを含め全員が鬼籍に入った。

平成の終盤「文枝」は筆頭の三枝さんが6代を、「春団治」は師匠が最もかわいがった春之輔さんが4代目を継いだ。3代目春団治さん、5代目文枝さんともに、生前にじっくりと後継の話を聞く機会があった。

取材嫌いだった3代目の肉声は貴重。「生きとったら、春蝶(先代)やった。品も腕も色気もあった」。後継指名は入門順ではないと考えていた。結果として、3代目の遺言により、一門筆頭ではない春之輔さん(当時)が継いだ。

5代目文枝さんには、入門順に三枝(当時)きん枝(当時)文珍と、人気者の「桂3兄弟」がいた。先代は「アホで手のかかる子ほどかわいいもんや。誰にやってもいいならきん枝」と即答した。6代こそ長兄弟子が継いだが、「次男坊」は、先代が最も長く名乗り愛着を持っていた前名の「小文枝」を襲名した。

残る2大名跡は「米朝」「松鶴」。米朝さんは「生きとったら吉朝」と言っていた。その弟子、吉弥らの世代は成長も著しい。令和には、四天王がそろい踏むはずだ。