お笑いタレントの欽ちゃんこと萩本欽一(78)が10日、日刊スポーツの取材に応えて、9日に亡くなったジャニー喜多川さん(享年87)との50年に及ぶ交友を振り返り、その死を悼んだ。

萩本は「一緒に遊びだしたのは、コント55号で日劇とかに出ている時だから、もう50年くらい前になる。最初は振り付けとかをやっている人かと思って、友達になって一緒にマージャンをやるようになった。それがジャニーさんだったの」と振り返った。

その後、萩本がフジテレビ系「欽ちゃんのドンと行ってみよう」やテレビ朝日系「欽ちゃんのどこまでやるの」といったヒット番組を手掛けるようになると、ジャニーさんは毎回のようにスタジオに顔を出した。萩本は「僕がジャニーさんに『若いタレントをどうやって探して、どうやって育てているの』って聞くと『探してるんじゃない、向こうから来てくれるの。ありがたいことだよね』って言うの。この人は事務所の社長というよりも、天性の人だと思った。でなきゃ、『ありがとう』という言葉は出てこないよね」と話した。

「最後に会ったのは10年くらい前かな。舞台で森光子さんとタッキー(滝沢秀明)が共演した時に見に行ったの。そうしたらジャニーさんがとんで来て、『黙って見に来て、帰っちゃダメ』って一緒にご飯に行った。ジャニーズの子たちを『みんな、私を楽しませてくれる。やめられませんね』と笑っていた。そこでは、偉大なプロデューサーの顔を見せるようなことはなかった」。

ジャニーさんが田原俊彦、近藤真彦、野村義男の「たのきんトリオ」をヒットさせた後、萩本の「欽ドン」でパロディーの「イモ欽トリオ」をデビューさせることになった。「レコード会社の人がジャニーさんに悪いと言うんで電話したら『面白いじゃない、ドンドンやりなさい』って、逆にレコード会社の人を説得してくれた」と言う。

そのうちジャニーさんは、自分のところのタレントを萩本に預けるようになった。「新しいテレビ番組を始めようとすると、ジャニーさんから電話がかかってきて『大将、新しい番組やるでしょ。うちの子、いらないかな』て言ってくるの。あれだけ歌でアイドルを育てた人なのに『大将を見て、気付いたよ。これからは笑いができないと。司会もできて、番組を作れるようにならないとね』っ言ってたの」。

そして、ジャニーさんは電話をかけてきて「笑いの才能があるのを見つけたから、見てくれ」と頼んだという。萩本は「それが中居(正広)君や(香取)慎吾だったの。ジャニーさんは、僕の目の前でSMAPを作っていった。情熱を燃やして、次の時代のことをいつも考えていた」。そして「友達のように付き合ってもらったけど、結構年上だったね。ツッコミとかもいれたけど、もうちょっと気を使えば良かったかな。素晴らしく大きな人で、かなわない。今も若い人とお付き合いができるのはジャニーさんのおかげ、感謝しています。ご冥福を祈ります」と話した。