新型コロナウイルスの感染拡大により、若手芸人も厳しい現実に直面している。ラグビーの強豪帝京大出身のしんや(29)は19年春、吉本興業のタレント養成所NSC(吉本総合芸能学院)大阪校を“首席”で卒業。TBS系ドラマ「ノーサイド・ゲーム」への緊急出演、大盛況のW杯日本大会と波に乗っていた。だが、突然のコロナ禍。アルバイトの掛け持ちで耐える芸人2年目に、今の思いを聞いた。

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時給1000円でアルバイトとして働く居酒屋は、午後8時閉店になった。フリーになった時間は引っ越しなど、日雇いアルバイトで過ごす。しんやは今、2つの掛け持ちで生計を立てている。4月の仕事は週1回、家で行う筋トレの配信のみで、芸人としての収入は「去年の秋の半分の半分の半分の半分の半分ぐらい?」。自虐ネタ風に「半分」という言葉を続けた。

「僕が世に出られたのは、大泉(洋)さんのおかげです。あそこから全てが変わりました」

19年7月だった。しんやは大阪から夜行バスで関東に向かい、ドラマ「ノーサイド・ゲーム」のエキストラで撮影に参加。終了後「何とかしないと…」という思いでスタッフに尋ねた。

「次の現場にも、伺わせてもらえませんか?」

その熱意をこれでもかと伝え、出演者が乗るバスへ同乗に成功。とっておきのラグビー・ネタを披露した。次の現場に到着すると、主演の大泉洋がいた。「テレビの中の人。こうなったら『根性』入れるしかない」。覚悟を決めると、食事の場でネタを発表した。

「あそこで感覚がバグった(狂った)」

一気に打ち解けると、監督に直談判。第6話からの出演を勝ちとった。周囲は「今の時代に聞いたことない」「今の子はそういうのをやらんイメージ」と驚いた。強豪帝京大の「3軍!」と胸を張る男は、自らチャンスをつかみにいった。

その秋、W杯日本大会期間中は夢心地だった。毎週のように大阪から東京へ向かい、パブリック・ビューイングなどイベントに出演。月収は大学卒業後に5年間勤めた一般企業の2倍を軽く超えた。鉄板の持ちネタ、戸田京介レフェリーや、大阪・東生野中時代の恩師「アシタカ先生」のモノマネがとにかくウケた。

年明けにトップリーグ(TL)が始まると、1月にはトヨタ自動車-パナソニック戦(愛知・豊田スタジアム)に歴代最多の3万7050人が駆けつけた。試合前イベントでのネタ披露が心の底から楽しかった。

「いつもネタを披露する会場は、大体100~300人。3万5000人を超える方が笑ってくれるのが気持ちよすぎて、2分の尺とか忘れていました(笑い)」

その時は後のコロナ禍など、想像していなかった。

お笑いライブは2月28日が最後となり、仕事はキャンセルが相次いだ。

「生の反応がモチベーションになるのに、そこがないのは寂しい」

そんな本音を胸に秘め、現在はラグビーの試合を見ながらネタを考える日々。仕事と直接は関係ないが、筋トレも欠かさない。終息後は新たな可能性を求めて、東京進出を視野に入れている。

「ラグビー好きな人にお笑いを見てもらい、お笑いが好きな人にラグビーを見てもらう」

双方のかけ橋になりたい-。その思いを強くする中で、言葉には力が入った。

「早く仕事したいです」

再び跳び上がる、その時を待っている。【松本航】

◆告知 「よしもとスポーツ」のLINE公式アカウントにて、しんやとパーソナルトレーナーの郡勝比呂(こおり・かつひろ)が自宅でできる筋トレを配信中!(5月27日までの毎週水曜日午後1時~1時半)

◆しんや 本名・松永真也(まつなが・しんや)。1990年(平2)5月21日、大阪市生野区生まれ。東生野中でラグビーを始め、大商大高、帝京大とFW一筋。一般企業を経て、18年春にNSC(1年制)入学。大阪校41期生による卒業イベントで129組(218人)の頂点に立つ。モノマネする戸田レフェリーからは食事に誘われ、もらったジャージーを愛用中。19年W杯日本代表SH流大(27=サントリー)は帝京大時代の後輩で、かつては寮で食事をともにした仲。