作曲家・古関裕而氏をモデルとしたNHK朝の連続テレビ小説「エール」が、28日に最終回を迎えます。ヒロイン小山音を演じる二階堂ふみ(26)がNHK紅白歌合戦紅組の司会者に決まるなど、大団円に向けますます注目度が高まっています。そんな中、古関氏が手掛けた「社歌」が多くの企業で再認識されています。コロナに沈む日本の企業に、時を経て、古関氏のエールが響いているかのようです。【笹森文彦】

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「エール」の効果で、古関氏がますますクローズアップされている。ふるさとの福島市にある古関裕而記念館の来場者数も右肩上がりだ。コロナ対策の入場制限にもかかわらず、10月は1988年(昭63)の開館以来初めて、1カ月あたり1万人を突破した。そんな中、古関氏が作曲した「社歌」を再認識、再評価する企業が増えている。

◆ライオン株式会社(本社・東京) 前身のライオン油脂株式会社の創立50周年記念として、69年に社歌が制定された。80年にライオン歯磨株式会社と合併し現社名になった際、現在の社歌「グリーンの獅子の旗の下」が制作され、いつしか古関氏の社歌は忘れられた。だが「エール」をきっかけに同社総務部アーカイブズ室が約50年前の音源や社歌の発表会映像を発見。オンライン社内報で公開した。発表会の映像には「ゆっくり歌えば式典でもよく、早く歌えばリクリエーションの時にもよい、便利な歌を作りました」という古関氏の言葉が残っている。

◆城南信用金庫(本社・東京) 社歌「城南信用金庫の歌」は59年10月に制定された。古関氏の作曲で、西条八十氏が作詞した。約10年前に新体制となった際、原点回帰のため、式典だけでなく、全体会議や研修などであらためて歌うようにした。同金庫理事長の川本恭治氏は「社歌には、城南の、信用金庫の精神が入っている。城南のDNAです。歌うことでそれを理解できる」と語る。「エール」は3月末から放送開始されたが、その1週間前に偶然にも古関氏の直筆の楽譜と当時のレコードが発見された。「(発見は)社歌を見直すいい機会を与えてくれた。歌うことで、今まで以上に地域の皆さまにエールを送りたいと思います」と話している。

◆山崎製パン株式会社(本社・東京) 「別れのブルース」(淡谷のり子)などで知られる藤浦洸氏の作詞で、70年に社歌が制作された。同社の広報・IR室によると、現在も全国の工場で毎日の全体朝礼の冒頭に、本社では毎週月曜日の全体朝礼で斉唱している。入社式など式典でも斉唱する。「全員で斉唱することにより、一体感の醸成と仕事に対するモチベーションのアップにつながるものと考えています」と同室。「エール」によって、作曲者が有名な古関氏であることを知った若手社員も多く、「自分たちが働く会社の社歌に誇りを持つようになりました。今後も歌い続けてまいります」。

◆賀茂鶴酒造株式会社(本社・広島) 63年に日本酒の賀茂鶴命名90周年と法人設立45周年を記念し、社歌「世界に伸びゆく」を発表した。作詞は西条氏で、歌唱は村田英雄とコロムビア・ローズ。村田独特の節回しを引き出した社歌だ。同社広報課は「東京出張所の営業が軌道に乗り、東京支社に昇格した年でもありました。高度経済成長期に、東京から全国、そして世界へ挑戦しようとする当時の弊社の意気込みが感じられます」。現在でも新年互礼会などで歌う。古関氏が再注目され、同課は「これまで社外に社歌を紹介することはありませんでしたが、SNSや弊社見学室直営所などで紹介させていただいています」。

◆株式会社高島屋(本社・大阪) 60年に株式会社設立40周年を記念して、社歌が制定された。作詞は藤浦氏。12月中旬まで大阪・浪速区の高島屋史料館アーカイブス展示室で、古関氏の直筆の楽譜が初めて展示される。歌詞は過去・現在・未来の3部構成で、曲は明るい希望に満ちた、気品あるメロディーだ。同室の解説によると「百貨店という職場をふまえ混声2部合唱ができるように作曲されていることは、社歌としては新しいスタイルであった」という。

このほかにも、全国各地の企業で、古関氏の社歌が見直されている。古関氏が専属作曲家として所属した日本コロムビアは「今は社歌制作の依頼は少ないですが、『エール』で古関さんの社歌を見直す動きは確実に出ています。時代を経ても、企業に、聴く人にエールを送ってくれると思います」と話している。

♪…「エール」に登場するコロンブスレコードは、日本コロムビアがモデル。コロナ禍にも4月発売のアルバム「あなたが選んだ古関メロディーベスト30」(3300円)は、3000枚売れれば成功という中で、10倍の3万枚を突破した。12月23日にはCD2枚組のアルバム「古関裕而秘曲集~社歌・企業ソング編」(3300円)を発売する。日刊スポーツの社歌も収録される。同社は「古関さんの社歌を、優れた作品として広く知っていただきたい」と話している。

「エール」の風俗考証も担当する日大准教授・刑部芳則氏 高度経済成長期に社歌が積極的に作られました。そのころの経営者は戦中派の方が多く、古関さんの戦時歌謡などに励まされた方もいた。古関さんの社歌はクラシックの格調高さと歌いやすさが共存している。社歌には普遍性が必要で、その伝統と誇りをしっかり継承している企業では今も歌われています。エール効果の一過性で終わるのではなく、古関さんや同時代の古賀政男さん、服部良一さん、そして歌手の方々を日本の音楽文化、財産として聴いてほしいです。

 

◆古関裕而(こせき・ゆうじ)本名・古関勇治。1909年(明42)8月11日、福島県福島市生まれ。福島商卒。銀行勤務を経て、30年に日本コロムビアの専属作曲家になる。31年に早大応援歌「紺碧の空」を作曲。35年に「船頭可愛や」が初ヒット。戦時歌謡の「露営の歌」「暁に祈る」「若鷲の歌」などを作曲。戦後は夏の甲子園大会歌「栄冠は君に輝く」、「とんがり帽子」「長崎の鐘」「イヨマンテの夜」「君の名は」「高原列車は行く」「モスラの歌」などがヒット。64年の東京五輪で行進曲「オリンピック・マーチ」を作曲。紫綬褒章、勲三等瑞宝章を受章。福島市名誉市民の第1号。約5000曲の作品を残し、89年8月18日に80歳で死去。

 

◆笹森文彦(ささもり・ふみひこ)北海道札幌市生まれ。早大第1文学部心理学科卒。83年入社。主に文化社会部で音楽を担当。音楽特集ページ「笹森文彦の歌っていいな♪♪」は間もなく通算150回を迎える。血液型A。