先月末、「山口百恵」が突然ツイッターのトレンド1位となった。その日午後にNHKで放送された「伝説のコンサート“山口百恵 1980・10・5 日本武道館”」の影響だ。

引退して40年の百恵さんの魅力はいまだに人々の心に刺さるのだ。

芸能記者としての私にとって百恵さんはいつも遠目に眺める存在だった。入社直前の80年3月に引退を表明。この年の10月に行われたコンサートの取材が駆け出し記者にまわってくるはずがなかった。

その数日後に行われた引退会見には補助要員として参加したのだが、100人を超す取材陣の後方から、会見の様子をサイド記事にするのが役割だった。進行係の人がいくら制止してもやまないシャッター音とフラッシュの洪水を覚えている。あれから同規模の会見には何度も参加したが、あれほどの光の洪水は見たことがない。カメラマンの群れの中から驚きとも皮肉とも取れる笑い声があがったくらいだった。結婚を機に絶頂期の21歳で決然と芸能界を去った百恵さんにはそれだけのインパクトがあったのだ。

赤坂の霊南坂教会での挙式当日も、私の担当は式に出席しなかった親族の取材である。教会の外で夫・三浦友和さんを見つめる幸せそうな表情は翌日の新聞で見ることになった。

以来、いっさい公の場には姿を見せない潔さも驚きである。

90年代になると2人の子どもたちの小学校の運動会が「取材の場」となった。学校の外から、家族席の中にそれこそ米粒大の百恵さんの姿を探す。今ならそんな取材行為は非難の的だろうが、当時は保護者の皆さんや学校側もおうようだった。現場では、その間に立つ友和さんのマネジャー氏の忍耐強い対応を覚えている。

敷地の外からでは、百恵さんの姿は肉眼ではなかなか確認できない。今のようなデジタルカメラではないので、望遠レンズで姿を捉えたカメラマンに現像した写真を見せてもらうのは帰社後のことだった。

「遠かった」百恵さんを思い出しながら見たNHKの放送では、白いドレス姿で涙し、マイクを床に置いて、ステージを後にしたシーンが改めて新鮮だった。ツイートこそしなかったものの、40年ぶりの「伝説」実感である。【相原斎】