シンガー・ソングライター山下達郎(68)が「人生の1本」と語る映画のために、静止画と音声のみながらベスト版「OPUS」を発売した12年以来、9年ぶりにテレビに出演した。その番組日本映画専門チャンネル「日曜邦画劇場」放送開始20周年&1000回記念スペシャルが、4日午後9時から放送される。番組内でテレビ初放送されるのが、1937年(昭12)公開の映画「人情紙風船」4Kデジタル修復版(放送は2Kダウンコンバート)だ。

山下と司会のフジテレビ軽部真一アナウンサー(58)が対談する番組の収録が、5月26日に都内で行われた。山下は「人情紙風船」について「何十回見たか、分からない。見る度にベスト1だなと。全く飽きない。僕にとっては大事な1本。最初から全てのシーンが美しいんですよ」と絶賛した。

山下が、そこまで絶賛する「人情紙風船」は、歌舞伎の河竹黙阿弥が作った世話物の通称「髪結新三」をベースに、三村伸太郎氏の脚本に山中貞雄監督が手を加えて映画化した作品だ。舞台は江戸深川の貧乏長屋で、首をつった浪人の通夜をしようと大家を説得し、酒をせしめて、ばか騒ぎする髪結いの新三や、父の知人に仕官の口を迫るが相手にされない浪人の海野又十郎など、貧しい庶民が破滅に向かっていく様を描いた。

記者も「人情紙風船」を試写で見た。描いているのは貧しい庶民の日常で、しかも公開から70年あまりがたつ白黒映画ながら、ものすごく豊かな映画だ。特に新三が浪人の通夜をすると言いながら、大家を半ば、だまして始めたばか騒ぎのシーンの、俳優陣の演技は本当に酔っぱらっているとしか思えないほど生き生きとしていて、伸びやかだ。俳優河原崎建三の父長十郎さんと母で岩下志麻の伯母に当たるしづ江さん、中村梅雀(65)の祖父中村翫右衛門さんら劇団・前進座の俳優の演技は、色あせないどころか、映画記者として勉強になることばかりだ。

山下は収録の際「芝居がかったものじゃないリアリズム…前進座の人は、みんな、さりげない。演技のようで演技じゃないが、演技じゃないと出ない、あんばいの良さ…難しいじゃないですか? 演じている人たちの連続性が保たれている。自然さ、ナチュラルさが全てかな」と評した。その言葉が全てだろう。

撮影機材、特殊効果などの技術は現代に遠く及ばないだろうが、長屋を引きで映したシーンなど、光の加減が絶妙で実に美しい。山下は「良い時代になりました。ほぼニュープリントに近いと解釈してもいい」と、4Kデジタル修復の効果をたたえた。その上で「当時、ご覧になった方が、こういう感覚で見たんだなと。(映像にかかっていた)膜が取れた。日本の映画は状態が悪い。半ば失望というか…見てましたけど。これは素晴らしい。1本でも多く大戦前の映画を見たい」と、撮影当時のクオリティーの高さも示唆した。

その上で、山下は専門であり、なりわいにしている音楽を引き合いに、旧作と呼ばれるものの素晴らしさ、重要性を訴えた。

「音楽でも(デジタルで超高音質の)ハイレゾとかありますけど、トランジスタラジオでも感動する。ある程度のクオリティーなら伝わると思う。若い頃、見ていた名画座では(上映中)コマも飛んだけど見ていた。少しでも良いコンディションで見られるのは幸せなこと。私はありがたいし、発展途上の映画文化がいかに情熱的だったかが伝われば、それで十分」

山中監督は38年に、日中戦争で出征した中国で28歳の若さで戦病死した。同監督の映画で、ほぼ完全な形で現存しているのは35年の「丹下左膳余話 百萬両の壺」と翌36年の「河内山宗俊」含め3本しかなく「人情紙風船」は遺作となった。

山下は6月28日に放送された、TOKYO FMのレギュラー番組「山下達郎 サンデーソングブック」(日曜午後2時)の中で「人情紙風船」放送の告知を行った。

「私『人情紙風船』の話を、いろいろなところで申し上げておりますけども、こんなに長く、微に入り細を穿(うが)って申し上げたことがないので、ぜひとも、ご興味のある方は…。日本の戦前・戦後のベストムービーという話題の中で、必ず出てくる、名作中の名作でございます。(山中監督は)封切りの日に徴兵の赤紙が来まして、翌年に中国で病死してしまう。もし生きていたら、山中貞雄という人は小津安二郎といった歴史に名が残る監督と、同列に並ぶ才能があった人」

山下は収録の場に、古書店で買ったという「人情紙風船」を紹介した「キネマ旬報」1937年(昭12)8月21日号を持ち込んだ。「(出演オファーがきて)火が付きましたね。脚本を読み返した。勉強しないと…」と収録前に“復習”したことも明かした。あふれんばかりの愛と知識がいっぱいのトークは必見だ。

※4日の初回放送後、山下がゲスト出演した回の再放送は

8日午後9時半

8月9日午後9時