さまざまな議論を呼び、さまざまな人が、さまざまに語り合った東京五輪。無事にといっていいのかはわからないが、閉会式を迎えることができた。歴代最多となったメダル数だけみれば、日本中を歓喜の渦に巻き込んだことだけは確かだ。

それにしても、五輪招致の期間までも含めると、五輪に携わった多くの人が去っていった。

まずは猪瀬直樹元都知事。コンパクト五輪を提唱し、招致に成功したが、裏金疑惑が発覚し、辞任に追い込まれた。

次はデザイナーの佐野研二郎氏。エンブレム発表の際はスポットが当たったが、その後にデザインの盗用疑惑が浮上。ネット上で糾弾され、組織委は白紙撤回に追い込まれ、姿を消した。

その次はJOCの竹田恒和元会長だろうか。五輪招致には成功したものの、シンガポールのコンサルタント会社への裏金問題が報じられ、フランス当局の捜査対象となり、会長辞任に追い込まれた。

辞任した人があまりにも多すぎて、忘れてしまっている人も多いことに気付く。

今年3月には演出の総合統括だったクリエーティブディレクターの佐々木宏氏が、タレント渡辺直美の容姿を侮辱するような演出をLINEで提案していたことが週刊誌報道で発覚し、辞任した。

森喜朗元首相は女性蔑視発言が明らかになり、組織委員会会長を辞任。後任に、川淵三郎氏の就任を根回ししたものの、マスコミ報道が先行したことなどもあり立ち消えになった。

その後もつるべ落としのようだった。

開会式で楽曲を担当していたミュージシャンの小山田圭吾は、同級生をいじめていたとする過去のインタビューが発覚し、辞任に追い込まれた。最初は、反省しているという理由で、続投が発表されたが、その後に辞任という、ドタバタぶり。小山田は「94年1月」の「ロッキング・オン・ジャパン」と「95年8月」の「クイック・ジャパン」で、学生時代に障がいのある同級生に対するイジメを行っていたと告白していた。

小山田の場合、25年以上前の過去があぶり出された形だ。

もうないだろうと思っていたら、開会式前日、開閉会式の制作チームを事実上のトップとして束ねていた元お笑いコンビ、ラーメンズの演出家、小林賢太郎氏を組織委が解任した。過去にホロコーストをネタにしていたことがSNS上などで拡散され、ユダヤ人の人権団体サイモン・ウィーゼンタール・センターが抗議声明を出した。この過去のネタは「98年」に発売されたビデオに収録されていた。これも、20年以上前のネタがあぶりだされた。

無事に五輪開会式も終了。さすがにもうないだろうなと思っていたら、俳優竹中直人が開会式を辞退していたと、週刊文春が報じて明らかになった。「85年」に発売されたビデオ作品で、障がい者をやゆする映像表現を行っていたため、開会式前日に自ら出演を辞退したという。

ここまで、辞任した人を調べるだけで難義だったけど、これだけの人数になると、東京五輪って、呪われているのではないかと思ってしまう。過去の蛮行が時間の経過とともに許されるとは思わないが、竹中の件だと36年前のことだ。思わずため息が混じる。

最後に、引用ではなく、自ら取材した内容を書く。東京都聖火リレー5日目を取材した。コロナ禍で公道でのリレーは中止となり、この日は、東村山市にあるハンセン病療養所「多磨全生園」でセレモニーが行われた。聖火ランナーの中には、元ハンセン病患者の平沢保治さん(94)がおり、ランナーを代表してあいさつした。

前回の東京五輪の時は「らい予防法」という法律があり、競技会場に入ることは許されなかった。平沢さんは「電信柱の陰から、アベベ選手が走るのをビクビクしながら応援しました」と語っていた。

ハンセン病をめぐっては、日本は明治末期に、患者を強制的に隔離する法律を成立させ、患者を強制収容してきた。多磨全生園もそんな施設だ。だが、ハンセン病は47年に特効薬による治療が始まり、完治する病気になった。にもかかわらず、国は怖い伝染病だと国民に伝え、「96年」にらい予防法が廃止されるまで、必要のない隔離政策が続けられた。

平沢さんが語る言葉、その表情を見て、心が痛んだことはいうまでもない。その後、隔離政策は憲法違反とされたが、法律が改められたのは「96年」だ。

竹中直人は85年、小山田圭吾は94年、小林賢太郎氏は98年のことで、責任を取ったことだけは、最後に記しておきたい。【竹村章】