福島県浪江町出身のシンガー・ソングライター牛来(ごらい)美佳(36)が10日、浪江町を表敬訪問し、吉田数博町長に義援金を手渡した。

牛来は原発事故で浪江町が全町民強制避難指示となったことから、当時5歳の娘と2人で最終的にたどり着いた群馬県太田市で、現在も避難生活を送る。18年からは、G-namieプロジェクトと名付け、太田市で毎年、復興支援チャリティーコンサートを実施。コロナ禍で中止となった20年を除き、毎年、浪江町役場や創成小中学校などに義援金・物資等を寄贈してきた。

牛来は「昨年のコンサートは、コロナ対策で300名限定のライブ開催となってしまいましたが、少しでも浪江の復興のお役に立てたらうれしいです」と、義援金を手渡した。吉田町長は「牛来さんには何度も町民を歌で励ましていただき、また義援金をちょうだいしています。町民を代表して心より御礼を申し上げます。そして太田市の皆様にも、浪江町民への多大なるご支援に改めて感謝を申し上げたい」と感謝の気持ちを語った。さらに「震災から11年、町内の一部で避難指示が解除されて約5年が過ぎ、少しずつ町は復興してきましたが、子供たちの未来に故郷を残していくために、まだまだやるべきことがたくさんあります。町民の皆さんがいつでも故郷に帰ることができるよう、これからも全力で復興に取り組みます」と現状を説明した。

牛来は震災当時、福島第1原発の関連企業で働いており、震災後にシンガー・ソングライターとして活動を開始したという異色の経歴を持つ。「着の身、着のまま浪江町を離れ避難生活が始まり、その現実をどうしても受け止められない自分がいました。今起きていること、故郷・浪江のことを、どうしても伝えたい、居ても立ってもいられない思いでした」と振り返る。

そして「多くの人に知ってもらいたい、同じように苦しんでいる人に届けなければ…」という一心で震災の3カ月後にCD制作に取り掛かり、12年頃から活動をスタート。G-namieプロジェクトのほか、ライブ活動、講演会などを精力的に行ってきた。

15年にYouTubeで発表した「いつかまた浪江の空を」は、仮校舎の浪江・津島小に通う全生徒21人のコーラスが収録されており、合唱曲や吹奏楽の演目としても取り上げられるようになり、今月11日からキングレコードから配信で発売されることになった。

午来は「合唱でも歌ってもらい、その映像などもSNSなどでアップしていただいて皆さんとつながりたいです」と話した。