1989年(平元)の映画「ゴジラvsビオランテ」、91年の「ゴジラvsキングギドラ」などの“平成ゴジラVSシリーズ”で知られる、映画監督の大森一樹(おおもり・かずき)さんが12日午前11時28分、急性骨髄性白血病のため兵庫県西宮市内の病院で亡くなった。70歳だった。15日、関係者が明らかにした。

大阪府で生まれ、兵庫県で育った大森さんは、高校時代から自主製作映画に取り組み、京都府立医大入学後、製作した「暗くなるまで待てない!」が注目された。1978年(昭53)には、シナリオ賞「城戸賞」を受賞した脚本を監督した「オレンジロード急行」で、商業映画デビューを果たした。配給はメジャーの松竹だった。

前年の77年に、CMディレクターの立場から東宝配給の「HOUSE ハウス」(77)で商業映画デビューを果たした、大林宣彦監督とともに、助監督の経験もない自主映画作家が、いきなりメジャーの配給で商業映画デビューを果たす、1つのムーブメントを作った。

80年には、大学病院で学んだ自らの経験を生かした「ヒポクラテスたち」が、キネマ旬報ベストテン日本映画部門第3位など高評価を受けた。翌81年には、芦屋市立精道中の先輩にあたる、作家の村上春樹さんのデビュー作「風の歌を聴け」の実写映画化を手掛けた。

05年には、大阪芸大芸術学部映像学科・同大学院で教授、学科長を務めた。15年には東京国際映画祭コンペティション部門の審査員を務めたが、脚本も務めた同年の監督作「ベトナムの風に吹かれて」が遺作となった。