先月29日に膵臓(すいぞう)がんのため亡くなったロックバンド、シーナ&ロケッツのリーダーでギタリストの鮎川誠(あゆかわ・まこと)さんの“ロック葬”が4日、東京・世田谷区の「星かげの迎賓館」で執り行われ、娘3人が報道陣の取材に応じた。

祭壇はバルーンやダリアやバラなどの花で埋め尽くされ、ステージ衣装や愛用したギター8台、レコード15枚などゆかりの品で飾られた。遺影は、14年リリースのアルバム「ロケットライド」の際に撮影したもので、娘3人で話し合って決めたという。

妻で15年になくなったシーナさんの時と同様“ロック葬”と銘打ち、「RUMOUR」「BIG BOSS MAN」などの楽曲が会場に流れるなか、柄本明(74)小室哲哉氏(64)石橋凌(66)ら芸能関係者約900人、一般参列者約3100人の合計4000人以上が鮎川さんとの最後の別れを惜しんだ。

次女でマネジャーの純子(46)は「日本の北から南まで昨年一緒にツアーができて、全部が思い出。熱いファンがいらっしゃって、ここ何十年の宝物として心に残っています」と懐かしんだ。10年前にマネジャーに名乗り出て、ともに活動してきた。「今はどうしたらいいのか分からない。亡くなる前まで父はずっと音楽のことばかり考えていた。亡くなる前だったから、(純子が)震える手で曲順とか次に出したいアルバムとかとにかくメモをして、少しでもお父さんとお母さんがやりたかったことを形に残して皆さんに聞いてもらうことが私の願い」と両親の遺志を引き継ぐ。

母のシーナさんが亡くなってからは、ボーカルを務めた三女の知慧子(39)は、「シーナ&ロケッツを歌えてすごく幸せな時間を共有できました」としながらも「この3年間は毎週父とライブを北から南まで回ってきた。父のギターに中毒になっていて、それがないことが耐えられない。お父さんのレコードを聴いて過ごします」と喪失感を口にした。父の音楽活動について「愛にあふれて最高の楽曲をたくさん作ってきた」といい「みんなに聞いてほしくて私も歌っていた」と語った。

長女の陽子(46)も「こんなにカッコイイお父さんは世界中にいないです」と涙目で話していた。

◆鮎川誠(あゆかわ・まこと)1948年(昭23)5月2日、福岡・久留米市生まれ。九州で人気を博したグループ「サンハウス」を率い、九大在学中にシーナさん(故悦子さん)と出会い、妊娠を機に75年に結婚。3人の娘をもうけた。78年にシーナ&ロケッツを結成し「涙のハイウェイ」でデビュー。88年にTBS日曜劇場「男たちのフツーの週末」でドラマデビュー、01年にはNHK連続テレビ小説「ちゅらさん」で朝ドラに出演する役者としても活躍した。

★主な参列者 柄本明(74)石橋凌(66)小室哲哉(64)うじきつよし(65)松田美由紀(61)中村達也(58)Zeebra(51)ら。