黒崎真音さんの突然の訃報を報じた、ニッカンスポーツコムの速報原稿についている写真の、はじけるような笑顔を見ると、12年も前に取材したことが昨日のことのように思い出されて、胸が痛む。

撮影したのは東京・新宿。芸能上達に御利益があることで知られる、芸能浅間神社がある花園神社から都庁の真下まで、一緒に歩いて行って撮影したのは、黒崎さんにとって人生初めての連載のためだった。

黒崎さんは東京・秋葉原のライブステージ「ディアステージ」で経験と実力を積み重ね、10年9月にアニメ「学園黙示録 HIGHSCHOOL OF THE DEAD」の12話全て異なるエンディングテーマを集めたアルバム「H.O.T.D.」でメジャーデビュー。同年11月にはアニメ「とある魔術の禁書目録2」エンディングテーマ「Magic∞world」を発売し“秋葉原が生んだアニソン界次世代の歌姫”の異名で、一気に頭角を現した。

ちょうど、日刊スポーツでは同11月から、芸能面で大型アニメ連載「アニ☆グラ」をスタートした。文化放送と完全タッグを組み、同局のラジオ番組に出演するアニメ、声優、アニソン界の人気者から大御所、若手注目株まで可能な限りオファーを出し、ブログのようにフリーテーマで、思いの丈を書いていただき、撮り下ろしの写真でグラビアとしても見せる企画だった。当時、アニソン界で飛ぶ鳥を落とす勢いだった黒崎さんは絶対に欠かせない存在で、第3弾の木曜日担当として11年1月20日付から同2月17日付まで5回、ご登場いただいた。

連載の第1回は、ご本人の人物紹介も兼ねて、記者が取材し、前文を書くのが定番のスタイルだった。取材の中で、黒崎さんは「初連載が新聞…。ビックリしましたし、すごくうれしいです。何を話そうか頭の中がグルグル回ってます」と語った。

その後、連載の本文は全て、黒崎さんご本人に執筆していただいた。黒崎さんは自らを「私は『ヲタクのお嬢さん=ヲ嬢』というあだ名が付くくらいヲタク属性が強い」と評した。そして、大好きだったAKB48の恋愛シミュレーションゲーム「AKB1/48 アイドルと恋したら…」や大仏“ホームタウン”秋葉原、木曜日のパーソナリティーを担当していた文化放送「A&G ARTIST ZONE 2h」を、それぞれ1テーマとして書いた。

最終回では、自らが生業とする歌についての思いを赤裸々につづった。

「歌が特別な存在になったのは、小学生の時に受けた学芸会のオーディションがきっかけでした。演技と歌を披露したのですが、演技の才能がない私は主役にはなれませんでした。でも、先生や周りの友達からは『歌が良かった』と褒めてもらえたのです。消極的だった私が初めて何かに挑戦し、評価してもらえた瞬間でした。その頃から歌を意識する様になり、歌手を目指し始めました。そして、アニメソングのライブを見に行った時、大好きな作品の主題歌を歌っているアーティストのキラキラとした姿を見て、とても感動したのです」

初めて周囲が自らの挑戦を認めてくれた歌の中でも、アニソンにはひときわ、思いが深かった。そのアニソンシンガーとして、一気に表舞台に駆け上がった黒埼さんは当時、本当に輝いていた。取材した11年には、デビュー1年目ながら世界最大のアニソンフェスと言われる「アニメロサマーライブ」(アニサマ)に出場し、18年まで連続で出場した。

記者は、16年に一時、芸能担当を離れるまで、アニサマの会見含め、黒崎さんを継続して取材した。その後、疎遠になってしまったが、芸能担当に復帰した翌年の21年9月のライブで黒埼さんが倒れ「硬膜外血腫」と診断された際も、その後、復帰したタイミングも気に留めていた。また、いつか、どこかで取材できないものかと思っていたが…かなわなかった。

「アニ☆グラ」の連載最終回の黒崎さんの言葉を紹介したい。

「アニソンシンガーになるという目標にも出会い、今は夢だったアニソンを歌わせて頂いています。奇跡の様な毎日ですが、挑戦を重ねて作品の良さを伝えられるシンガーになれるよう頑張りたいと思います! 末永く、よろしくろさき☆」

黒崎さんの歌声は、アニメファン、アニソンファンの心に深く、残り続けるに違いない。楽曲の数々も…。でも、ファンの方こそ願っていたであろう「末永く、よろしくろさき☆」という言葉は、もう聞くことは出来ない。【村上幸将】