美川憲一(76)の生歌を聴き、その豊かな歌声に心がしびれた。すぐ後ろで聴いていた聴衆が涙するのを見て、また目前の美川に向かってカメラのシャッターを切る…その繰り返しの中で、仕事として取材をしていながら、それらを超えた感動に胸が包まれていた。

美川は、23日に東京・代々木公園で開催された、アジア最大級のLGBTQのイベント「東京レインボープライド」のステージに初めて立った。屋外のステージで、1曲目に72年の大ヒット曲「さそり座の女」を歌唱すると、世間に広く知られた代表曲だけに、多数の観客がステージ周辺に集まってきた。

東京レインボープライドは、LGBTQをはじめとした性的少数者の存在を社会に広め、全ての人がより自分らしく誇りを持って前向きに生きていくことができる社会の実現を目指し、12年から代々木公園周辺で開催されてきた。出演オファーを受け、快諾したという美川は、壇上で改めてイベントの趣旨を聞くと、観客に向かって呼びかけた。

「まさに、そういう時代ですからね。昔と違って、良い時代になったのよ。理解のある時代に。私たちの子どもの頃は、男は男らしく、女は女らしくという時代だったから」

美川は、若い頃は細くて美少年だったと振り返った。一方で「昔は直立不動で、しゃべらない、動かない、笑わない、ちょうネクタイ…そういう時代が、本当にあった」と若手の頃、求められた歌唱のスタイルを説明。その流れが変わり始めたのは、女の文字がタイトルに入った70年の「おんなの朝」「さそり座の女」をリリースしたタイミングだったという。「少し薄化粧して。ファッション的にもきれいだから」と、少しずつ、自分のスタイルを作っていったと振り返った。

自分らしさとは何かと聞かれると「自分の気持ちで、生きていきたいなと。男が化粧しているとか、周りにいろいろなことを言われても、信念を持って、自分らしく生きるのが、後悔のない生き方なのよ」と答えた。そして、こう続けた。

「今の時代、生きるの、大変よね。日本だって、これから先、どうなるか分からない。だから日々、笑顔で楽しく生きていく精神…それしかない。生活しづらいこと、たくさんあるけど、負けちゃいけない」

歌を聴かせ、自らの人生について語り、観客に心の持ちよう、在り方、生き方を、同じ目線に立って伝える。今、若い世代の間でも人気を呼んでいる昭和歌謡を、まさに体現した美川のステージは、単なる歌唱ではなく、生きざまそのもの…だからこそ、人々を笑顔にさせ、涙顔にもさせるのだろう。【村上幸将】