シンガー・ソングライターおかゆ(32)が2日、東京・Veats Shibuya(ビーツ・シブヤ)でメジャーデビュー5周年記念ライブ「渋谷のオカユ」を開催した。17歳で渋谷に憧れて上京後、故郷・北海道で母が事故で亡くなり「ここで生きていく」と決めた地だけに「その時の自分に良かったねと言いたい」と涙した。

リハーサル後、囲み取材を受ける段階から、おかゆは「始まる前なのに、感無量になってしまって、涙が出てきちゃった」と涙をこぼした。ロビーには市川由紀乃、水田竜子らから、お祝いの花が届けられ「こんなにお花をいただいたのも初めてですし、メジャーデビュー2年目に(20年早々に国内でも拡大した)コロナ禍もあり、この規模のライブをさせていただくのも初めて。思うようにお客さまの前で、歌を届けるのも久しぶり」と喜びが口を突いて出た。

会場が、メジャーデビューしたレーベルのビクターが、自身のデビュー年の19年に思い出の地・渋谷で開業したライブハウスだったことも、うれしかった。「渋谷に出てきた、あの頃の自分自身にもささげたい。原点回帰であり、いつもと違う今日の1日で、明日から、また変わると思える。1人では5周年を迎えられなかった。東京に出てきた時の自分に良かったねと伝えてあげたいし、感謝の気持ちをファンに届けたい」と思いもひとしおだった。

17歳で上京後、亡くした母を思って歌手になることを決意。14年からスナックや居酒屋を巡り、流しとして客のリクエストに応えて歌い、自身の存在と歌を広めていく活動を始めた。19年4月には、流しを始めた際の目標の1つだった、47都道府県全てでの流しを達成し、同5月1日に「ヨコハマ・ヘンリー」でメジャーデビューすると、オリコン演歌・歌謡曲チャートで初登場3位を獲得した。

この日の選曲は「私の始まりから(メジャー)デビュー前、デビューから今まで…超進化というテーマの今年の1年を厳選した」ものとなり「私の歴史を知り、音楽活動の歩みを感じていただく」というコンセプトで臨んだ。

ライブ前日の1日にも「落ち着かなくて、どうしても来たくて」足を運んだ渋谷の、ライブ当日の景色は「私が初めて降り立って見た、渋谷の景色より輝いていた」と感じたという。上京後に母が亡くなり、ショックで打ちのめされた末、足を運んだのも、渋谷だった。「私はやっぱり、この街で生きていく」と誓ってから15年。渋谷の街でライブを開催できるまでになり「当時の自分に、その選択で良かったと伝えたい」と思えたからこそ輝いて見えた。

これまでは、歌手志望だった母が札幌・ススキノのスナックで歌うのを見て育ち、流しの歌手を志した一方で、自身は幼少期に歌ったことはないと語ってきた。それが、4月末に妹とともに北海道に帰省した際、2歳の自分が歌っている写真を発見した。「私自身、全く記憶になくて、歌も音楽にも興味がなかったと思っていた。2歳の自分にも『今、私、歌ってるよ』って伝えてあげたい。それから、音楽性も生きる道しるべも変わった」と思えたことも、5周年記念ライブの力となっていた。

この日は、愛する渋谷への思いを込めて「思い入れが強すぎて過去1、2を争うくらい難産」の末、作った新曲「渋谷のマリア」含む、18曲を披露した。同曲について聞かれると「5周年の節目の曲として、覚えてもらえる曲、原点の渋谷の曲を書こうと思って作り始めた」と振り返った。「スナック生まれ、スナック育ちじゃないけれど…母に札幌のネオン街で夢を与えて育てられた。そうした自分自身を曲に投影している部分はあります。歌詞にも、私は平成生まれなので分かりませんが、昔の渋谷を知っている方に懐かしいと思ってもらえるワードをまぶしました」と説明した。

亡き母への思いを聞かれると「昭和歌謡曲、演歌を教えてくれて、ありがとうと伝えたい」と感謝した。そして「反抗ばかりして東京に飛び出たので、最後に母が私のことを娘として、どういう風に思っていたのか分からない。でも、親は子供に幸せになって欲しいと思っている。私は渋谷で遊んでいて好きなことばかりしていた時、自分を幸せと思っていなかったと思う。今は、こんなにたくさんのファンの方に、自分の歌を聴いてもらえるようになって、幸せだよ…と伝えたい」と声を詰まらせた。

そして最後に「今は、音楽で自分自身を表現できるようになって、この街にいる。渋谷にも育てられましたね。上京した頃より、もっと輝いて、もっと未来があって、もっと明るくて大好きです」と、笑顔で渋谷にも感謝した。【村上幸将】