【ロサンゼルス14日(日本時間15日)=遠藤尚子】ロックバンド、X JAPANのYOSHIKIが、米ハリウッドの老舗劇場、TCLチャイニーズシアターで、手形、足形を刻印するセレモニーを行った。日本人初、アジアのアーティストとしても初の栄誉。ハリウッドでアメリカンドリームを実現し、「僕ができたのだから、あなたにもできる」と前向きなメッセージを送った。

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YOSHIKIは用意されたセメントにサインし、続けて手形、足形を刻んだ。その後ドラムスティックを2本埋め込むと、最後に日付を記した。一連の刻印を終えると、沿道から見守っていた約300人のファンや来賓らの歓声が降り注ぎ、応えるように笑顔で手を振った。チャイニーズシアターに初めて日本人の名前が刻まれた。

同劇場前のパネルに名を残すことは、ハリウッドで最も名誉なことの1つとされている。音楽、ファッション、映画など多彩に活躍し、慈善事業を続けてきたことなどが評価された。YOSHIKIは手形を押す瞬間を振り返り「感極まってしまった。ゴールじゃないけど、自分がやってきたことが認められたと思った」。また「夢は見るものじゃなくつかむものだと言ってきたけど、続けているとかなうんだな」とかみしめた。

式典には韓国俳優イ・ビョンホン(53)、ロックバンド、KISSのジーン・シモンズ(74)ら親しい友人も祝福に駆けつけた。12年に同セレモニーを経験したイ・ビョンホンからは「セメントが思ったより固い」と事前にアドバイスを受け、「生半可な力では残らないと思って、思いきりいきました」と明かした。

足形を残すシーンでは不安定なセメントの足場によろめき「ここから落ちた人って誰かいないの?」と照れ笑い。刻印したばかりのパネルの側に寝そべる大胆なポージングも披露した。刻印時にドラムスティックを埋めたアーティストも、約100年続く同劇場の歴史で初めて。スティックはそのまま残す予定という。

音楽で世界に打って出るため、ロサンゼルスに拠点を移して約30年。20代後半の当時は「英語力ゼロ」だったが、ステージでは「こんな僕でも、アメリカンドリームが達成できた。どんな人種でも、アメリカンドリームを追い求めることができると証明したかった」と流ちょうな英語でスピーチした。「僕ができたのだから、あなたにもできる。不可能なことは何もありません」。実感を込めながら、力強く語った。

◆TCLチャイニーズシアター 1927年に建築されたロスの老舗映画館。最新映画のプレミア上映が行われることでも有名。劇場前には世界的著名人の手形、足形、サインが刻印されたプレートが敷き詰められ、ハリウッドの観光名所の1つ。現在までに330人以上選出されている。

 

○…YOSHIKIは同日夜、チャイニーズシアターで行われた初監督映画「YOSHIKI:UNDER THE SKY」ハリウッドプレミアに出席。上映が終了すると、拍手とともに「YOSHIKI!」とコールが飛んだ。「インディーズとして道なき道に飛び込んでやってきた。監督も手探りで始めて、それをハリウッドで公開できて、やったかいがあった」。コロナ禍で制作し、さまざまな困難を乗り越えて完成した。音楽ドキュメンタリーでありながら「お互いを助け合う人々の映画になっています」と語った。

 

○…10月に日本、英ロンドン、米ロサンゼルス、ニューヨークを巡るクラシックコンサートツアーを開催する。内容について「激しいドラムを取り入れようとしているので、ショッキングなクラシックコンサートになると思う。ぶちかまそうと思ってます」と予告。誉れ高い式典に出席した興奮冷めやらぬ中「与えてもらった栄誉に恥じないよう、お返しできるようなショーに」と意気込んだ。