「アホの坂田」で親しまれたお笑い芸人、坂田利夫さん(本名・地神利夫=じがみ・としお)が29日、老衰のため、大阪市内で亡くなった。吉本興業が30日、発表した。82歳だった。通夜、葬儀告別式は近く近親者のみでとり行う。

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年をとっても愛される芸人で-。ベテラン芸人からよく聞く言葉。若手、後輩からも「いじられやすくあれ」という戒めで使う人が多い。坂田さんは生涯“愛された”芸人だった。昨年4月、聖地・なんばグランド花月(NGK、大阪市)で最後の舞台となった110周年興行でも、間寛平に「アホ」と言い、寛平が「アホにアホ言われたら…」と返すなど、「アホの坂田」を貫き、孫世代の芸人からもいじられていた。

もともと、親孝行のために芸人を志した。吉本新喜劇のオーディションをへて、新喜劇へ入団。後に、前田五郎さんと「コメディNO・1」を組み、前田さんのプロデュースで「アホの坂田」が生まれた。前田さんとは“師弟”のような関係性も一部であった。

実際の坂田さんは、しゃれ者で、よく考える人だった。「結婚したいけど、できない」。芸としていじられても喜んだが、無責任な「結婚」報道には怒った。取材に「年とったら、1人は寂しいで」と答えたこともあった。では、なぜ結婚しないのか-。

「母親が『アホ生んだ子や』言われるのは、親やからしゃあない、言うてくれた。せやから、親兄弟を劇場に呼んだことないねん。でも、結婚して子供ができたら『アホの子や』言われるかもしらん」

こう答えた。

実際、道ばたや酒場で、一般客から「アホ」といじられることも多かった。親孝行のため、キャラクターを築き上げて大成し、その結果、あえて自身から「結婚」を遠ざけた。

理想の女性像を聞いてみたことがある。「それにな、ヘレンさんみたいな、ようできた女おらんわ」。

坂田さんは、新喜劇の駆け出し時代、生活ができずに、西川きよし・ヘレン夫妻の家へ居候していた時期がある。きよしも「ヘレン、坂田さん、そんで僕と川の字で寝たこともあった」と振り返っている。

きよしとは駆け出し時代からの知り合い。新喜劇のマドンナだったヘレンはあこがれの存在でもあった。そのヘレンが、自らは芸の道を退き、まだまだ将来が知れなかったきよしに尽くし、後にきよしは「横山やすし・西川きよし」のコンビで、漫才で大成した。そんな姿も知っていた。

また、新喜劇出身の間寛平とも親交が深かった。独身生活の坂田さんを気にかけたのが、寛平夫人。坂田さんは数年前から高齢者施設に入り、体調を鑑みて病院と往復する生活だったが、寛平夫妻が日をあけず通っていた。

最期も、親族と、寛平夫妻に見守られて旅立った。「アホの坂田」でファンに、後輩に愛され、「地神利夫」として“ファミリー”に愛されていった。

「人生『あ~りがとさ~ん』やで、ほんま。これを忘れたらしまいや」。取材でも、どこかで会っても、坂田さんの締めの言葉はこれだった。その言葉は胸に残っている。【日刊スポーツ演芸担当=村上久美子】