1960年代から第一線を走り続けた写真家の篠山紀信さんが4日、都内の病院で亡くなったことが分かった。83歳だった。

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60年にわたり、日本の写真、芸能、芸術をリードしてきた篠山紀信さんが亡くなった。スマホが普及して、誰でもが手軽に写真を撮れる時代になったが、その日本の大衆文化に与えた影響は、あまりにも大きい。

日大芸術学部の写真学科を卒業して、広告の世界からプロの世界に入った篠山さんは、常に時代の最先端を写してきた。キャロル、坂東玉三郎など最先端の芸能をフィルムに収め、ビジュアルで大衆に分かりやすく示してきた。

70年代半ば、小学館の雑誌「GORO」で山口百恵、後に夫人となる南沙織、水沢アキ、森下愛子の姿態を写し出して「激写」という言葉を定着させた。

1980年(昭55)から始まった「週刊朝日」の女子大生表紙シリーズでは、宮崎美子、真野あずさ、河野景子、大塚寧々、栗尾美恵子、小島奈津子、下平さやか、高田万由子、進藤晶子、膳場貴子、乾貴美子ら、後に時代のトップランランナーとなる若い才能を、その美しさと共に世に送り出した。

時代が平成に変わり、91年には樋口可南子「Water Fruit」で、他に先駆けてヘアヌードを解禁。当時18歳でトップアイドルだった宮沢りえも写真集「Santa Fe」でヘアヌードにした。

その日本の歴史上で一番有名なカメラマンである篠山紀信さんを8年前にインタビューした。問題は、天下の篠山紀信を、弊社のカメラマンの誰に撮らせるかだ。野球、サッカー、女優と、それぞれの得意分野を持つカメラマンの名前を挙げながら、担当デスクと深夜0時過ぎにビールを飲みながら、3晩にわたり討論したのが懐かしい。

インタビュー時の篠山さんは、記者が質問するまでもなくマシンガントークのように話し続けた。1つ質問すると、それにまつわる歴史、エピソードを延々と語ってくれた。その功績を「先生は、常に時代を切り取って撮り続けてきたんですね」などと格好つけて言ったら「そんなことはないよ。ただ、シャッターを押し続けてきただけ」と笑った。

理屈を考える前にシャッターを押す。一眼レフカメラがデジタルカメラになり、誰でもスマホで写真を気軽に撮る時代になった。有象無象のカメラマンのその最先端を猛スピードで駆け抜けて行った。篠山さんの作品そのものが、日本のポップな文化の歴史そのものだった。ご冥福をお祈りします。【小谷野俊哉】