作家・門田隆将氏(67)が23年11月に刊行したノンフィクションを実写化する映画「尖閣1945」(五十嵐匠監督)が15日、沖縄県の石垣島でクランクインした。この日、俳優の富田健太郎(30)が主演を務めることが発表された。魚釣島に漂流するも、病や飢餓で命を落としていく仲間たちを助けるために立ち上がる若き水軍兵・金城嘉吉(かなぐすく・かきち)を演じる。オール石垣島ロケで11月下旬にクランクアップし、26年に沖縄県先行・全国公開を予定している。
富田は「今回この映画『尖閣1945』のお話をいただき、まず原作を読ませていただきました。尖閣列島戦時連難事件。この作品は、戦争そのものを描く映画ではなく、極限の中で懸命に生き、命をつないだ人々の『記憶』を描く物語です。石垣島の海に触れていると、どこか自分の遠い記憶を優しくなでられているような感覚になります」と作品への印象を語った。
24年の「i ai」(マヒトゥ・ザ・ピーポー監督)に続き映画の主演は2作目だが、有名無名関わらず数多くの俳優と直接面談していく中で、嘉吉役に最適だと感じた五十嵐匠監督(67)から主演に抜てきされた。「過酷な撮影になることは重々承知しておりますが、その時間のすべてを、石垣島の海と風の中で、彼らが生きた日々の重さと尊さをかみしめ、身体に刻みながら過ごしていきたい。この土地で生まれた日本人として、心の奥にある“風になった想い”をもう一度呼び起こし、ご覧になる皆さまの心にそっと触れられるよう、真摯(しんし)に演じていきたいと思います」と撮影への意気込みを語った。
「尖閣1945」は、太平洋戦争末期の1945年(昭20)7月に発生した「尖閣列島戦時連難事件」の史実を元に、感動のヒューマンドラマとして描く。沖縄が陥落してから1週間後、米軍の上陸を恐れた石垣島の人々が、第一千早丸と第五千早丸で台湾への疎開を開始。多くの女性や子どもを乗せていたが、第五千早丸は海上で米軍機の攻撃を受けて沈没。第一千早丸もエンジンを損傷し、かつて日本人が暮らしていた真水がある尖閣諸島に漂着も、1940年(昭15)に既に無人島になっていた魚釣島には食料もなく上陸した人々は飢え、病に次々、倒れていった。その中、生き残った人々が木造船を作り、決死隊を結成して石垣島に助けを求めたことで救助された物語。
映画化プロジェクトは、24年11月18日に都内で行われた会見で発表された。門田氏の取材にも協力した、中山義隆石垣市長(58)が「尖閣1945」を読み、感銘を受け、映画化を提案。製作資金を集めるため、ふるさと納税の一種「ガバメントクラウドファンディング」と企業版ふるさと納税の2つで、各1億5000万円、計3億円を目標金額に設定。脚本は、99年「地雷を踏んだらサヨウナラ」と22年「島守の塔」を手がけた五十嵐監督が、原作を元に書いた。
製作陣もコメントを発表した。
五十嵐匠監督 「戦後80年、映画化にあたって」
八重山諸島は日本の最南西端に位置し、海・陸・空とも豊かな自然に恵まれ、宝の島々と言われています。このような平和な海域に尖閣諸島の魚釣島があります。昭和20年終戦間際の7月から8月にかけて尖閣諸島で起こった史上まれにみる海難事件はこれまであまり知られてきませんでした。「尖閣戦時遭難事件」と呼ばれるその事件は、疎開のため石垣から台湾に向け出航した2隻の民間船に乗った人々がアメリカ軍機の攻撃を受け1隻は沈没、1隻は尖閣諸島魚釣島にたどり着き、人々は50日間餓死寸前になりながらも生き延びたというものでした。生き延びたその日、戦争は終わりました。戦後80年を迎える2025年-。風化しつつある戦争と戦争がもたらしたものを100年遺る映画としてこれからを生きる若者たちに届けたい。本作品はその想いをもって企画すると共に、戦争のさなか極限に追い込まれどんな逆境でも信念と矜持(きょうじ)を失わなかった石垣に生きる人々の不屈の精神を映画化するものです。
門田隆将氏 2023年11月に刊行した「尖閣1945」は反響を呼び、おかげさまでベストセラーになりました。「尖閣戦時遭難事件」を描いたこのノンフィクション作品は、なぜ尖閣が日本の領土なのか、そして歴史的に日本人がこの島にどんな思いを抱いているのか、遭難者の多くが生き残ったのはなぜなのか、という初めてお伝えする「真実の歴史」に大いなる関心を持っていただけた結果だったと思います。この本に書いたように魚釣島には、今も日本人のご遺骨が沢山埋まっています。そんな深い歴史を持ち、日本人が熱い思いを寄せる尖閣を、1970年に国連の海洋調査の結果が明らかになって突然、中国が領有権を主張し始めました。私は長い間、多くの女性や子供たちを乗せて石垣島から台湾へ向かっていた2隻の疎開船がたどった史実を描きたいと思っていました。そしてやっと生き残りを訪ね、関係者の証言を集め、これを立体的に描くことができました。この本1冊でいかに尖閣が日本固有の領土であるか、そしてこの島には日本人の遺骨だけでなく、先人の魂がこもっていることを知って欲しいと思いました。本が刊行後、取材でもご協力いただいた中山義隆石垣市長から「感激しました。ぜひ映画化したい。クラウドファンディングを利用して、どうしても実現したい」とのご連絡を頂戴しました。自治体を中心に尖閣の物語を実現する? 私は感激しました。「あぁ、これほど尖閣を大切にする人が日本にはいたんだ」との思いがこみ上げたのです。「ありがとうございます。どんな協力でもさせていただきます」と私は答えていました。この映画化プロジェクトは、そんな思いからスタートしたものです。どうか尖閣への思い、いや、最近、情けないニュースばかりが目立つ日本に対して、「このままでいいのか」との思いを持つ方々の浄財を期待します。がんばれ、日本! 守れ、尖閣!
中山義隆石垣市長 太平洋戦争末期、石垣島から台湾に向かっていた疎開船が米軍の攻撃を受け、多くの犠牲者が発生した「尖閣列島戦時遭難事件」の史実、そして、人々を救ったのが真水をたたえた日本の領土であったことを多くの方々に知っていただくことを目的に、門田隆将氏の著作『尖閣1945』を原作とした映画を製作しています。「尖閣列島戦時遭難事件」とは、太平洋戦争末期の1945年7月、多くの女性や子ども達を乗せ石垣島から台湾へ向かっていた2隻の疎開船、第一千早丸と第五千早丸が米軍機の攻撃を受け、第五千早丸は沈没、第一千早丸もエンジンの損傷により、尖閣諸島の魚釣島に漂着した史実であります。魚釣島などには、明治時代から最盛期248人が住んでいた「古賀村」があり、かつお節工場などで営々とした日本人の生活がありました。そのため、真水があったことから、しばらくの間は人々は生き永らえることができましたが、1940年にかつお節工場は既に閉鎖されており、無人島となっていたため食料がなかったことから、餓死者が出る事態となってしまいました。そこで、生き残った人々は、木造船を作り、8人が決死隊を結成して石垣島に助けを求めたことにより救助された悲劇であります。魚釣島には、今も日本人の遺骨が多数埋まっています。生と死をめぐる感動ドラマが沢山存在します。現在、全世界から注視されている尖閣諸島を舞台としたノンフィクション作品を映画化することには、大変大きな意義があるものと考えています。この映画を製作することで一人でも多くの方に尖閣諸島で起きた史実を知っていただき、また、日本中の皆さまが石垣市の行政区域である尖閣諸島の現状を考えるきっかけとなることを切に願っています。



