歌舞伎俳優市川海老蔵(いちかわ・えびぞう=42)の「十三代目市川團十郎(だんじゅうろう)白猿(はくえん)」襲名披露公演は、新型コロナウイルス感染拡大に伴う緊急事態宣言の影響を受けて延期されました。5月から7月にかけて東京・歌舞伎座で行われ、今年の演劇界最大イベントになるはずでした。「團十郎」の名跡(みょうせき、代々継承される名前)は歌舞伎(かぶき)で頂点に立つと言われます。その理由を解説します。【林尚之】

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歌舞伎には團十郎のほか、尾上菊五郎(おのえ・きくごろう)、中村吉右衛門(なかむら・きちえもん)、片岡仁左衛門(かたおか・にざえもん)、松本幸四郎(まつもと・こうしろう)など大名跡がありますが、團十郎は特別です。

理由は、江戸時代初期に活躍した初代團十郎をはじめ、歴代の團十郎が名優だったこと。さらに、初代は「荒事(あらごと)」という荒々しく豪快な歌舞伎の演技を生みだし、江戸歌舞伎の創始者とされます。不動明王などを演じ、「荒人神(あらひとがみ)」とも呼ばれる崇拝(すうはい)の存在でした。

今回の襲名公演の口上で予定された「にらみ」は、團十郎家だけに継承される見得(みえ)の1つで、江戸時代には「にらみを見たら、1年間無病息災で過ごせる」と言われたほどでした。

初代は45歳で亡くなりましたが、その時、長男は17歳でした。しかし、團十郎という人気のある名前をそのままにするのはもったいないと、5カ月後に襲名。2代目の誕生です。人気役者となり、千両という当時では破格の出演料を得ました。「千両役者(せんりょうやくしゃ)」という言葉を聞いたことがあるかもしれませんが、その起源になったのが2代目でした。

3代目と6代目は若くして亡くなりましたが、4代目、5代目、7代目は名優と言われる人気・実力の持ち主でした。8代目は、その美貌から女性のファンが多かったそうです。「助六(すけろく)」という作品では、主人公の助六が水の入ったおけに入る場面があり、8代目が入ったおけの水を売りに出したところ、ファンが殺到しました。今のアイドルのような人気だったのです。明治時代に活躍した9代目は、明治天皇の前で演じる「天覧劇」を初めて実現し、歌舞伎界の地位向上に貢献。「劇聖(げきせい)」と呼ばれ、尊敬を集めました。

そして、襲名公演が盛大に行われるようになったのは、海老蔵の祖父11代目と父12代目がきっかけでした。海老蔵時代に「海老さま」の愛称で、絶大な人気を誇った11代目の襲名公演は1962年(昭37)に2カ月間でした。それまで1200円だった一等席料金が1700円に値上がりしましたが、連日満員で「1億円興行」と言われました。

その後、歌舞伎人気は低迷しましたが、1985年(昭60)に12代目團十郎の襲名公演は3カ月も行われ、35万人もの人が見ました。一等席はついに1万円と、初めて1万円の大台に乗り、興行収入は30億円と大成功。歌舞伎人気が復活しました。おおらかな芸風が愛されましたが、晩年は白血病と闘い、66歳で亡くなりました。

今回の13代目襲名公演では、一等席が2万3000円と過去最高の料金でした。予定通りに開催されていれば、「50億円興行」になったでしょう。延期の時期は未定ですが、東京オリンピック開催が来年7月に延期されたように、今年と同じ来年5月からが有力です。

▼海老蔵は「市川團十郎白猿」を襲名する予定でしたが、なぜ「白猿」が付くのか不思議に思うでしょう。白猿は、5代目團十郎が使った俳名(俳句をよむ時のペンネーム)で、「名人上手に足りない」という意味があります。海老蔵も「父や祖父にまだ足元にも及ばない」との思いから、付けたそうです。襲名披露公演では、長男勸玄(かんげん)君(7)が8代目市川新之助を襲名し、長女麗禾(れいか)さん(8)も舞踊家市川ぼたんとして出演と、親子3人の共演も話題になっています。

<歌舞伎アラカルト>

◆歌舞伎は江戸時代初めに始まった日本の伝統的な演劇で、05年に世界無形文化遺産に登録されました。女性の役も女形(おんながた)と呼ばれる役者が演じるなど、すべて男性が演じるのが特色ですが、子役は女の子も出演します。

◆歌舞伎から生まれた言葉に「二枚目」「三枚目」があります。二枚目は美男子、三枚目は面白いことをする人を意味しますが、芝居小屋で看板を並べる時、二枚目に若手の人気役者、三枚目に道化(どうけ)役の役者の看板を掲げたことから、今のような使われ方になりました。「とちり」「なあなあ」「黒幕」「どんでん返し」も、歌舞伎から生まれた言葉です。

◆歌舞伎といえば、歌舞伎座を思い浮かべる人も多いでしょうが、江戸時代に歌舞伎座という劇場はありませんでした。「市村座」「中村座」「森田座」など劇場の持ち主である興行主の姓から名付けられ、歌舞伎を見に行く時も「歌舞伎を見る」と言わず、「芝居を見る」と言っていました。ちなみに歌舞伎座誕生は1889年(明22)です。

◆林尚之(はやし・なおゆき)1978年入社。演劇・演芸を担当し、寺山修司、つかこうへい、蜷川幸雄、森光子、中村勘三郎、立川談志らを取材。年300本の舞台を観劇。文化庁芸術祭、鶴屋南北戯曲賞の審査委員、日本芸術文化振興会専門委員などを務める。共著に「落語入門」。