れいわ新選組の山本太郎代表(51)は21日、参院議員を辞職した。血液のがんの一種「多発性骨髄腫」の1歩手前と診断され、今後は治療に専念する。「生きるための選択」で、無期限で活動停止すると述べた。「どれほど時間がかかるか分からないが、国政に戻るつもりだ」。業務量を大幅に減らし代表職は続投するが、国会で存在感を示し、党の「一枚看板」ともいわれた山本氏の最前線からの撤退。衆院選(27日公示、2月8日投開票)でも表には立たない方針で、党勢に影響する可能性もある。
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山本氏は議員バッジを外して辞職会見に臨んだ。ペットボトルの水をひと口飲み干した後で、自身の病状や今後について語った。
議員は辞職するが、昨年末に3期目に入った代表職は続投する考えを明かした。山本氏は「これまで、ゼロか100の生き方をしてきた。自分の特性を考え、バッジをつけたまま代表の仕事が果たしてできるのかと思った」と、議員辞職の理由を説明。「ブレーキがきかないので、多分無理をする。冷静に考えないといけない」とも語った。
昨秋受けた人間ドックの後に複数の再検査の必要が生じ、血液の検査で病状が分かった。「すでに病気が進行しているなら、突っ込むこともできるが、今は1歩前の段階だ。生きることを選ばないと、命を奪われる可能性もある」。代表辞任も含めて「さまざまな選択肢を検討」し、「生きるための選択をした。リミッターは自分でぶっ壊してきたが、こういう状況にでもならないと休まないでしょ、という状態は受け止めたい」と口にした。
その上で「どれくらい時間がかかるか分からないが、自分では戻るつもりだ。健康を取り戻して復帰を目指す判断に至った」と述べ、病気を克服し、再び国政を目指す構えを示した。
「私はメンタルおばけ、体力おばけという気持ちで来たが、そういう人間は存在しない。キャパオーバーの分だけ(心身を)傷つけることを積み重ねてきた。無理のしすぎ」と自虐的に振り返り、「こんなこと、予測もつかなかった」と漏らす場面も。早期発見だが「原因ははっきりせず、これをやればいい方向にいくというものはない。まずは血液検査をしながら数値を見ていく」と治療方針も語った。
代表職の業務は共同代表の大石晃子、櫛渕万里両衆院議員に任せつつ「問題が起き、ジャッジに困る時に私が関わるやり方はできる」。通常国会前の発表は予定通りだとしたが、急転直下の冒頭解散に。衆院選では「心を鬼にして、表(舞台)に立たない」と述べたが、「党の顔」だけに、党内や支援者には動揺が走っている。
タレント活動から東京電力福島第1原発事故を機に反原発活動を始め、2013年参院選東京選挙区で劣勢予想を覆し初当選。衆院くら替えや東京都知事選出馬、重鎮・小沢一郎氏とのタッグで「生活の党と山本太郎となかまたち」を政党名にするなど、独自の活動を続けた。一方、災害被災地に一貫して心を寄せ、国会質問では、時の政権に被災地への十分な対応を迫り続けた。その姿勢は、与党内でも「活動は奇抜だが、現実主義者」という評価を受けていた。【中山知子】
◆山本太郎(やまもと・たろう)本名同じ。1974年(昭49)11月24日、兵庫県宝塚市生まれ。箕面自由学園高在学中にテレビ「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の企画「ダンス甲子園」出場をきっかけに芸能界入り。バラエティーから俳優に転じ、03年に映画「MOON CHILD」でブルーリボン助演男優賞を受賞。11年の福島第1原発事故を契機に脱原発・脱被ばくの姿勢を鮮明にし、13年参議院東京選挙区に無所属で出馬し初当選。16年、自由党共同代表に。19年4月れいわ新選組を立ち上げ、同年7月の参院選では落選。21年衆院選の比例代表で当選。22年4月に参院選に出馬するために議員辞職し、同年7月の選挙で当選した。血液型A。
◆れいわ新選組 山本太郎氏が2019年4月1日に立ち上げた政党。党名は新元号「令和」が発表された日に届け出たことと幕末に活動した新選組から。消費税廃止、積極財政への転換、脱原発などを訴え同年7月に参院選に挑戦。山本氏は惜敗するも2人の議員が誕生して政党要件を獲得した。当選した両議員とも重度の障害があり、本会議場にスロープが設けられるなど国会内のバリアフリー化が進み、永田町に新しい風を吹かせた。21年衆院選で比例代表に山本氏を含めて3人が当選。22年年参院選では、衆議院議員を辞職した山本氏ら3人が当選した。現在は衆議院8人、参議院6人。昨年12月の代表選で山本氏が再選され3期目(任期3年)となる。

