2年5カ月もの工事を終えて、いよいよ京都競馬場がリニューアルオープンを迎える。「待ちに待った」という表現が、これほどぴったり当てはまることはない。それは、京都競馬場が僕にとって、競馬の「原点」だからだ。

もう、30年以上も昔の話になる。大阪市内から京阪電車に乗って寝屋川の高校に通っていた。通常は授業が終わると大阪方面へ帰るのだが、たまに反対側のプラットホームから大阪とは逆の方面へ向かう日があった。京都で競馬開催のある土曜日が“その日”だった。

通学の朝には一切なかった胸の高鳴りを感じた。車窓から淀川や樟葉のゴルフ場を眺めつつ、頭の中は大きな青空の下で緑のターフを駆けるサラブレッドのことでいっぱいだった。淀駅に着くと、改札口には出迎えてくれるように駅員が立っていた。切符を回収してもらうと、こちらの気持ちもスイッチが入ったように高揚した。

今の高架ではない、地面と接していた駅を出る。線路沿いには居酒屋が並び、焼き鳥を手に、昼間からお酒をたしなむ大人たちの姿があった。所々には、別の人だかりも存在した。その中心には、数字を書いた紙を板に貼り付けて、声を出している人がいる。予想屋だ。当時は馬券を買うことはできなかったけれど、そんな光景に鼓動はさらに速さを増した。抑えきれないほどに心躍らせながら、競馬場のゲートをくぐるのだった。

大学時代、競馬場へ向かう交通手段は電車から、親に借りた車へと変わった。片思いの女性を誘って、初めて競馬場デートを実現させたのも京都だった。馬券でひともうけして、かっこいいところを見せようとしたけれど、穴狙いの僕はハズレ。彼女はヒシアマゾンから見事に的中した。複雑な気持ちのまま帰りの駐車場へ向かい、車のハンドルを握る。出口まで大渋滞する車の中で、どんな話をしたのか、もう思い出せない。その恋はもちろん? 実らず破れた。

社会人になってからも、何度も淀に通った。競馬にも関わる会社に入社でき、同級生に馬主の息子がいたことも幸運だった。1日数十万円を馬券に注ぎ込み、豪快に大勝した会社の先輩もいた。「このまま○○に連れてってやる!」と甘い誘いを受けた日、大敗していた僕はその気になれず、肩を落として1人で家路へ急いだことも苦い記憶として刻まれている。

結婚して娘が生まれると、家族で一緒に出掛けた。4コーナー方面にある「緑の広場」があったことを、恥ずかしながらそのとき初めて知った。それまで、いかに馬と馬券のことしか考えていなかったかを思い知った。広大な敷地には、アスレチックの遊具もあった。無邪気にはしゃぐ子どもの姿に、馬券的中とは違う喜びを感じたものだ。

あの日のことも、忘れられない。2005年1月22日。1完歩の滞空時間が長く、4本の脚すべてにバネがついているように感じた馬をスタンドから目撃した。一緒にいた先輩に「あの馬、飛んでいるように走りますよね」と言ったことを、今でもはっきりと覚えている。強烈な末脚でデビュー2連勝を遂げた若駒…、ディープインパクトだった。あんな走りをする馬は、あれっきり見たことはない。

新装・京都競馬場の愛称は「センテニアル・パーク」に決まった。「100年の、100周年の」という意味だそうだ。淀の地に競馬場が開設されて、2025年で100周年を迎えることにちなんでいる。競馬歴30年余りの僕でさえ、振り返ればいろいろな出来事がよみがえってくる。ご年配のファンなら、きっと1日では語り尽くせないことだろう。そして、これからは新たに生まれ変わった競馬場で、いくつもの思い出を刻んでいくことになる。できることなら歓喜の記憶が数多く残りますように…。そう願いつつ、美しい「パーク」に足を踏み入れたい。【木村有三】