今春で引退する調教師の連載「明日への伝言」の第6回は、美浦の土田稔師(70)が語る。同師が馬の世界に入ったきっかけ、そして78年から中央競馬の世界に入り、師匠であり親分と呼び慕う大久保洋吉元調教師との思い出。その親分からの教え“らしく、ぶらず”をモットーにしてきた調教師人生それぞれを振り返った。【取材・構成=舟元祐二】
実家が北海道で馬の牧場をやっていたから、生まれた時から馬に囲まれていた。最初は中学を卒業したら実家を継ごうと思っていたけど、4つ上の兄貴が高校を卒業して「俺が残るよ」って言うからさ。どうしようってなった。東京の装蹄師学校があったから家族の理解もあって行けた。55年前。あの当時東京に出て行くのは北海道では集団就職くらい。でも不安は全然なかった。寮生活だったんだけど、寮長、副寮長と男としてほれるような人たちがいっぱいいた。師匠の大久保洋吉先生を親分と呼んでいる。牧場の関係で小さい頃から親分や先代の末吉さんとご縁があってね。それで装蹄師よりも1つ上を目指そうと。調教師になるにはどうしたらいいかと考えて、勉強してなんとか獣医師の大学に受かった。北里大学。たぶん奇跡だよ。
1978年から親分の厩舎でお世話になった。最初は当然技術もなく大変だったけど、毎日馬に乗れるし、だんだんと分かるようになってきて、緊張もあったけど楽しかったね。メジロファントム、メジロハイネも乗せてもらった。本当に勉強になった。そして人としてもね。“らしく、ぶらず”。自分らしく、偉ぶらずという意味。これは調教師になってからもずっと大事にしてきた。親分の教え。大きな人間だよ。男としてほれるような部分がなければ、ここまでついていっていない。家族、牧場関係、若い頃の先輩、親分といつも周りに支えられてきた。
それで開業して1993年に初出走。思い出に残る馬は難しいな。でもタイキバカラかな。2004年クリスタルCを勝った。脚元の弱い馬で、当時の馬場とかいろいろ苦労したんだけど、もうちょっとケアできていれば、もっと走れたと思う。そういう意味での思い出かな。いい走りをした馬だったな。
伝言はそうだな…、せっかく調教師になったら、自分で馬を選んで、レースを選んで、その馬に合う騎手を選んでと決められる人になってほしいかな。今は牧場主体のところもあるけど、それだけ調教師という仕事には重みがあるはずだから。調教師の仕事というのを突き詰めてほしいね。
今後は何をしようかな。母親は103歳まで生きたからね。私も大きなけがも病気もしたことないんだよ。薬も飲んだことない。あんだけ馬から落っこちていたのに骨折もない。私も100歳を目指すか。誰も相手してくれなくなったりして。はっはっは。車の運転は好きだけど、四つ葉マークつけなきゃいけないからな。ゆっくり考えるよ。今でも親分とは話したりしてるから、親分に何かアドバイスをもらおうかな。
◆土田稔(つちだ・みのる)1955年(昭30)6月23日、北海道三石郡出身、70歳。1978年3月北里大学獣医学部卒業。同5月に調教助手として大久保洋吉厩舎へ。装蹄師免許、獣医師免許を所有。1992年に調教師免許を取得し、翌1993年3月に開業。23日現在までにJRA通算6780戦386勝(うち障害31勝)。JRA重賞は2004年クリスタルCをタイキバカラで勝つなど4勝。地方では1997年南部杯をタイキシャーロックで勝利している。

