2003年(平15)の福岡ダイエーホークス売却案に端を発した球界再編問題を掘り下げる。04年9月18、19日に「ストライキによるプロ野球公式戦中止」という事態が起こるほど、平成中期の球界は揺れた。それぞれの立場での深謀が激しくクロスし、大きなうねりを生む。

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ストライキ突入か否か。選手会と経営者が最後の団交に臨もうとしていた2004年(平16)9月15日、楽天が球界参入へ乗り出す意向が明らかになった。

混乱の極みにあっての表明は、6月にライブドアが近鉄買収へ名乗りを上げた当時と比べれば粛々と報じられた。野球協約には、特例を除いて11月30日までに実行委員会、オーナー会議の承認を得なくてはならないと明記されている。コミッショナーの根来泰周は、時間切れを根拠に「来季は無理だと思う。もう(セ)6と(パ)5で、交流試合しかないと、僕は思う」と言った。

一方で同じ9月15日に、後に楽天にとって参入の突破口となる風穴が、日本プロフェッショナル野球組織(NPB)側から提案されている。「新規参入検討委員会(仮称)」の設立である。

ストライキ回避の切り札として、16日からの団交で持ち出そうと考えていた。新規参入の審査となった場合は、第三者にも情報を開示しながら、ガラス張りで行うという内容だった。

三木谷浩史は当時39歳。インターネットショッピングモール「楽天市場」で確かな基盤を築き、ビジネスを多角的に広げようとしていた。1年前から参入を検討してタイミングを探っていたが、そこに球界再編問題が当たり、踏み込もうと決断した。

「理由は2つあるんですよね。1つは、そもそもスポーツという素晴らしいアクティビティー(活動)に、楽天という企業も関わっていきたい。種類に関係なく、関わっていければいいなと。2つ目は、それまでのパ・リーグだったら数十億円の赤字を出しながらやっていたと思うんですけど、我々のやり方であれば財務的にも健全に経営ができるだろうと思いました」

労使の交渉は最後の最後で決裂し、9月18、19日にストライキは決行された。すると選手会会長の古田敦也が「次の週にはコロッと変わりました」と振り返るように、一気に事態が動いた。同23日、NPBと選手会は7項目の「合意書」にサイン。早期に「審査小委員会」を設立し、来季からの新規参入を目指す文言が盛り込まれ、再度のストライキは回避された。

球音のない2日間が世論を形成したことはもちろん、スト直前にNPB側が切ったジョーカーが、労使の緊張を緩和させる大きな役割を果たした。

審査小委員会による第1回の公開ヒアリングは、10月6日に行われることが決まった。直前に共同通信社が行ったアンケートでは、ライブドア支持が東北全体の40%。楽天は7%にとどまっていた。後発だった上に、当初は本拠地を神戸と定めてから保護地域の障害に当たり、仙台に変更した経緯があった。

「あらゆる質問に、素直に答えよう。選んでくれればいいな」。三木谷は水色のネクタイをきつく締め、審査に臨んだ。(敬称略=つづく)【宮下敬至】