木曜のオフ企画「こんなん知ってますか!?」は阪神の話題を中心に「そうやったん?」と少しだけ「へえ~」と思ってもらえる話を高原寿夫編集委員がお届けする“阪神トリビア”です。今週から2回にわたって「バックスクリーン3連発」の歴史的な試合を取り上げます。まずは「バックスクリーン3連発ではなかった!?」です。

知る人ぞ知る話なのだが、それを含めてまた「伝説」になっている。そんな話である。猛虎の、いや日本プロ野球界の伝説にもなっているあの「バックスクリーン3連発」。その1本が「バックスクリーンには打ち込んでいなかった」という事実だ。

85年(昭60)4月17日。ライバル巨人を迎えた甲子園球場は大いに盛り上がっていた。このシーズン初のTG戦。阪神1勝で迎えた第2戦だった。1-2とリードされた阪神、7回裏の攻撃。

まず3番バースが仕事をする。すでにエース格になっていた21歳の巨人槙原寛己から1号逆転3ランをバックスクリーンにたたき込むのだ。手前の通路でバウンドしているものの方向は間違いなくバックスクリーン。ここから伝説が始まる。

続く4番掛布雅之もバックスクリーンへ2号ソロ。さらに5番岡田彰布もバックスクリーンにぶち当てる強烈な1号ソロを放り込む。以前にこの3連発について槙原に聞いたとき「頭が真っ白になった」と話していたことを今でも記憶する。

しかし…。3本のうち掛布の本塁打だけはバックスクリーンに入っていなかった。左側の客席で弾み、そこからバックスクリーン下に転がり込んだ。

現在もオーナー付シニア・エグゼクティブ・アドバイザー(SEA)として球団に残る掛布雅之にそのことを聞いてみると笑いながら言った。

掛布 入ってなかったのはもちろん知っていたよ。当時の新聞も「センター方向へ3連発」みたいな感じだったと思うんだけど。いつの間にか今言われるみたいになってたよね。「おまけだ」って言ってバックスクリーンに入れた賞金をもらった記憶はあるんだけど。

実際に当時の日刊スポーツ大阪版を見ても、掛布の1発については「センター越え」となっている。しかし時が流れ、いつの間にか「バックスクリーン3連発」が一人歩きすることになった。

掛布 あの年は久しぶりのリーグ優勝、そして日本一になって。あの試合はその象徴みたいになったからね。まあ、そこは大阪っていうか関西の阪神ファンの温かさっていうかね。厳しいところもあるけど、もういいじゃない、それで、みたいな、ね。

メディアの発達、さらに阪神自体の低迷もあって、あのシーズン、あの試合を神格化する流れは止まらなかった。そこで生まれたのが「バックスクリーン3連発」のフレーズ。「掛布のは実は入ってなかったんやでえ」というのはヤボかもしれない。(敬称略)【編集委員・高原寿夫】

1985年4月17日、阪神対巨人 7回裏阪神2死一、二塁、逆転の3点本塁打を放ったランディ・バース。投手槙原寛己
1985年4月17日、阪神対巨人 7回裏阪神2死一、二塁、逆転の3点本塁打を放ったランディ・バース。投手槙原寛己
1985年4月17日、阪神対巨人 7回裏阪神2死、本塁打を放った岡田彰布
1985年4月17日、阪神対巨人 7回裏阪神2死、本塁打を放った岡田彰布
バックスクリーン3連発の軌道
バックスクリーン3連発の軌道