岸孝之投手(31・名取北-東北学院大)の楽天入団会見から10日。仙台の街で「歓迎」の声を見聞きする機会がとても多かった。(蛇足だが)タクシーの運転手や、美容院の担当さん。今日はマンションのエレベーターで岸投手の話題になった。名取北という、甲子園出場のない“無冠校”出身の岸投手が、高校時代に登板した宮城球場(現Koboパーク宮城)のマウンドに帰ってくる。会見の「東北、仙台のために、精いっぱい頑張りたい」というコメントを聞き「早く見たいね」、「楽しみだね」と多くのアマチュア野球関係者も声を弾ませている。

楽天入団会見を行い星野球団副会長(右)と握手をかわす岸(写真は2016年11月18日)
楽天入団会見を行い星野球団副会長(右)と握手をかわす岸(写真は2016年11月18日)

 「(入団は)とてもうれしいですね。会見の前日に『あす仙台に行きます』と電話がありました。人としてちゃんとしているな、成長したなと感じましたね」。そう話すのは名取北時代の恩師、利府・田野誠監督(45)だ。「入学時の岸は身長160cm、49kgくらいのきゃしゃなピッチャーでした。投球フォームがきれいだったので、誰に野球を教わったのかを聞いたら『父です』と。お父さんが七十七銀行の初代監督、孝一さんだと知り、それでか、と納得したものです。野球に関しては頑固な所もありましたが、うちは我の強い選手が多かったので、練習を強制することはありませんでした」。当時の名取北は甲子園出場を第一目標に置いているチームではなかった。選手の意識に温度差がある上で、田野監督は「強制しない代わりに、自分で結果を出していくんだよ。そうしないと、社会に出た時、居場所を失うことになるよ」と静かに忠告した。この指導が結果的に岸投手にマッチしたようだ。高1春と、高3冬に二度、野球を辞める辞めないの一騒動があった。この時も「辞めたい理由を、一つ一つつぶして行きました」と笑う。ある雑誌の記事で岸投手が「自由にやらせてくれたから続けられた。キツイところだったら野球をやめていた」と高校野球をふり返っていた。最後は自分で動き、努力し、東北学院大での大活躍、プロ入りへと道を開いていった。「メールしても数日は返事がこなかった男が、きちんと電話してくるようになった。アイツも変わったなぁ」。気まぐれにヒョッコリ会いに来てくれる日を、心待ちにしている。

利府のグラウンドでノックをする田野誠監督。「選手に強制しない」指導方針は、今も変わらない。(写真は2016年10月21日)
利府のグラウンドでノックをする田野誠監督。「選手に強制しない」指導方針は、今も変わらない。(写真は2016年10月21日)

 仙台二・金森信之介監督(30)は高2の夏、岸投手と対戦している。2回戦、仙台二対名取北。台風の接近で宮城球場が「内野に水たまりができるほどのどしゃ降りだった」試合。前試合で5回参考ノーヒットノーランを記録した岸投手は雨で制球に苦しんでいた。8四死球の乱調。6回に金森“選手”が打ったフライが右翼手の落球を誘い、同点に。ミスに乗じてこの回4点を奪い4対2で勝利した。岸投手の最後の夏は2試合14イニング、被安打わずか3。高校野球を物語るような幕切れだった。

「来季は球場に行って、野球部で岸さんを応援したい」と金森監督は楽しみにしている。仙台二は県内屈指の進学校。日々模索しながらの指導だが「岸さんや、ロッテに1位指名された佐々木千隼投手(都日野-桜美林大)のように、公立の進学校から大学を経て夢をかなえる選手がいる。大学野球へつなげる基本作り、文武両道の教えはこれからも続けていきたい」と、置かれた場所での使命感を語る。

 秋田をのぞき、強豪私学が安定した強さを見せている東北の高校野球。夏の宮城大会で言えば、過去30年間で公立校の甲子園出場が4校(4度)にとどまっている。甲子園への壁は高く厚いが「楽天岸」の誕生、そして活躍が、高校野球指導者たちへの勇気、希望に繫がっていくことをひそかに期待している。【樫本ゆき】