声援は実らず-。日本ハムからドラフト1位指名された早実・清宮幸太郎内野手(3年)が12日、第97回全国高校ラグビーの東京第1地区決勝(東京・江戸川区陸上競技場)の応援に駆け付けた。応援席から声をからしたが、早実は7-38と目黒学院に敗れ、1936年(昭11)度以来、81年ぶりとなる全国大会の切符を逃した。

 惜しくも花園切符を逃した友たちへ、清宮はバックスタンドで立ち上がり、大きな拍手を送った。全国高校ラグビーの東京第1地区決勝。早実は目黒学院に敗れた。会場の江戸川区陸上競技場で同級生と肩を組み、応援歌を歌いながら優勝を祈った。願いは届かなかったが、試合後にロッカールームを訪れた清宮は、ねぎらいの声をかけた。「お疲れさま。今日もかっこよかったよ」。

 清宮家とラグビーは切っても切れない関係にある。父克幸氏(50)はヤマハ発動機の監督で、早大監督としても3度の大学選手権優勝に導いた名将。清宮も4歳から野球に専念する小4まで“ラガーマン”だった。FBで出場した鈴木理公(3年)とは昼休みにラグビートークに花を咲かせ、パスの練習をする。小学生から友人の鈴木が「今でも上手ですよ」とたたえる腕前だ。

 野球とラグビー。競技は違えど、ともに全国大会まであと1歩に迫った戦友だ。野球部は今夏、西東京大会決勝で東海大菅生に敗れ、甲子園を逃した。主将として名門を引っ張る姿は、胸を打つものがあった。神宮で観戦した鈴木は「僕らも頑張ろうと刺激を受けましたね」と振り返る。同校は早大に進学する生徒が大半。鈴木によると、10月のドラフト会議で日本ハムが交渉権を獲得した際に清宮は「就職おめでとう!」と祝福されていたという。

 ラグビー部もまた、2年連続の決勝敗退。81年ぶりの全国大会はならなかった。1年時、同じクラスだった高校日本代表候補のCTB中西亮太朗(3年)は「清宮が来てくれると知っていた。絶対花園に行ってやろうと思っていた」と悔やんだ。切磋琢磨(せっさたくま)した友達だからこそ、清宮も無念さを浮かべたが、鈴木は試合後にこう言った。「彼の応援は励みになった。清宮がプロに行ったら、また応援に行きたい」。友に、熱い思いは届いていた。【鎌田良美】