センバツ出場した春日部共栄・村田賢一投手(3年)が春季埼玉大会2回戦の川越初雁戦でノーヒットノーランを達成した。

奪三振12、内野ゴロ8、内野フライ2、外野フライ5、失策出塁3、四死球0。球数は107。埼玉県内の公式戦では史上47人目の快挙で、平成では20人目。春日部共栄としては93年夏に土肥義弘投手(元西武など)が達成して以来2人目だ。植竹幸一監督(49)は「(土肥は)花咲徳栄が相手でしたね。(部長として)ベンチに入ってました」と懐かしがった。

最後の打者から三振を奪い「よっしゃ」と口にした村田は「あまり実感ないですね」と第一声を発した。ノーヒットノーランは自身初だが「完全試合は中学で3回ありました」とさらり。「もともと完投するつもりはなかった」という。植竹監督も「出来は70点。(中盤以降は)ヒット1本打たれたら変えるつもりだった」と明かした。

センバツでは最速147キロ右腕として注目されながら、大会初日に高松商(香川)に完敗。「悔しかったですね。絶対に忘れないです。怒りや悔しさを練習にぶつけてきました」。テンポの良さが信条。石崎聖太郎捕手(3年)の捕球の2秒後には村田のグラブにボールが戻るほどだったが、そこも改善。「捕ってミットを止める時間を少し長くした」と石崎は話す。

相棒の技術を信頼し、ストライクゾーンぎりぎりを攻めた。ハイライトは5回。2死から失策で出塁を許すも、後続を見逃し三振に仕留めた。「アウトロー、ベースを1センチかすったくらい。頑張りました」と村田。大舞台での失敗を肥やしに、バッテリーでさらなるレベルアップを図っている。

センバツ初日敗退で埼玉に戻った後も、テレビ中継を見ていた。「まだまだ全国では通用しないなと感じました」と村田。「課題ですか? 球速も上げたいし、コントロールももっと磨きたい。だから、課題は全部ですね」と切れ味鋭く締めた。

 

◆村田賢一(むらた・けんいち)2001年(平13)8月31日、静岡・三島市で生まれ、千葉・浦安市で育った。直球の最速は147キロ。182センチ、80キロ。右投げ右打ち。趣味・特技は六面立体パズル(ルービックキューブ)で、競技用キューブも所持する。