夏の風物詩「栄冠は君に輝く」は全国高等学校野球選手権大会の大会歌だ。

作詞した加賀大介氏は16歳のとき、野球の試合でのケガがもとで右足を切断した。文学に生きるなか、野球への思いを若者へのエールとともに歌詞に込めた。大介氏は73年に58歳で他界。妻の加賀道子氏(95)と長女の新川(あらかわ)淑恵氏(65)に話を聞いた。コロナ禍で「2020年甲子園交流試合」を開催中。なじみ深い歌が発するメッセージを2回に分けて届ける。【取材・構成=酒井俊作】

かくしゃくとした声だった。今年10月に96歳を迎える加賀道子は苦笑いしながら言う。「私はカラオケが大好きで少し歌います。いまはコロナで行けませんよね」。曲は決まっている。夫の大介が作詞した「栄冠は君に輝く」だ。歌声は3番で力が入る。夫の思いがもっとも伝わる箇所だ。「最後の『健康』ね。大好きな歌詞ですね」と話した。

大介は草野球に熱中し、はだしで運動場を走り回る活発な少年だった。だが16歳のとき、夢を奪われた。試合中、足先のケガがもとで骨髄炎になった。道子は夫から聞いた話を明かす。「野球は早慶戦を欠かさずラジオで聞いていて。手術のときもラジオを入れてほしいと」。実況を聞きながら右足の膝下を切断した。

グラウンドに立てなくなった大介は文学に打ち込んだ。石川・能美市の自宅前に小学校がある。道子は言う。「時々、運動場に行って小学生が野球をしているのを見ていました」。大介の心が躍ったのは、33歳の48年6月だ。「夏の甲子園」大会歌の募集を知った。

「ものすごく野球が好きでね。文芸をやっていましたので『野球』という話で飛びついたんだろうと思います。ただ『栄冠は君に輝く』の題目は、前々から温めていたものでした」

一気に詞を書き上げたという。道子は「自分も健康で野球をしていたのにできなくなった残念な気持ちが歌詞に十分、出ているといつも思います」と言った。

父はいつも家にいた。長女の新川淑恵は脳裏に焼きついている光景がある。

「家で高校野球やプロ野球をテレビで見ていて選手が盗塁したり、一生懸命、走りますよね。父の背中を見ていると、すごく体が動くんです。上半身が前後左右に動いて、指にも力が入っているんだなと」

厳しい父だった。「勉強しろ」が口癖だった。「歌のことは一切、言いませんでした」。周りから父が作詞したと伝え聞いても中学3年になるまで、どの曲か知らなかった。69年の決勝を父とテレビで見た。三沢(青森)と松山商(愛媛)の延長18回引き分け、翌日の再試合。ブラウン管にかじりついた。閉会式で曲が流れ、歌詞が映る。「加賀大介」の文字を見た。「これなんやあ…」。気づけば、父は居間にいなかった。

あるとき、淑恵は父に冗談めかして言われた。「運転免許取ったら甲子園に連れて行ってくれ」。父は73年に58歳で病死して、かなわなかったが、淑恵はのちに道子と何度か甲子園に招かれた。ある年は開会式直前、吹奏楽団のリハーサルをたまたま見た。「歌声が、おなかの底にまで響くんです。その歌を聞いたとき、父ってどこかで生きているんだなって」。青空を見上げた。感無量だった。

淑恵は小学校教師として生きた。「歌は父のメッセージであり、生前のポリシーだと思うんです。母はよく言いますが、勝者ではなく、スポーツの勝ち負けでもなく、父の人生を振り返っても、自分の夢や努力してもかなわなかった人に対してのエールです。正面から『頑張れ』ではなく、その人の肩を押してくれる歌です」と言う。透明感や躍動感あふれる詞は大介がいまも発する熱だ。コロナ禍で夏の甲子園中止。72年前に生まれた歌は、晴れ舞台が消えた高校球児を励ましているようにも聞こえる。

道子は「70何年も前に作った歌だけど、いまも感じは新しい。私に残してくれた財産です」と感謝する。うれしい言葉にも触れた。甲子園の開会式で作曲した古関裕而と会ったときだ。物腰柔らかい紳士に言われた。「いい歌詞ですね。甲子園大会にぴったりの歌詞です」。気鋭の作曲家もまた、明快なメロディーに若者へのメッセージを込めていた。(敬称略)(続く)

◆栄冠は君に輝く 1948年(昭23)7月に発表された全国高校野球選手権大会の大会歌。朝日新聞社が同年、学制改革で旧制中学から新制高校に切り替わったのを契機に歌詞を一般公募。5252編から加賀大介氏の作詞が入選し、作曲家の古関裕而氏が作曲した。当初は加賀大介夫人の道子さんが作詞とされたが、68年2月に大介氏の作詞を告白した。道子さんは「賞金目当てと思われるのが嫌だったようです」と明かす。今夏の甲子園交流試合では、試合前にセンバツ大会歌「今ありて」、夏の大会歌「栄冠は君に輝く」の順番で場内に流れる。

◆加賀大介(かが・だいすけ)1914年(大3)10月1日、石川・根上町(現能美市)生まれ。出生名の中村義雄から改名。短歌会などを主宰し、文筆活動に専念した。48年に「栄冠は君に輝く」作詞入選。73年にがんで他界した。