20日のプロ野球開幕は延期となったが、各球団のチームづくりは着々と進む。打線の主軸や先発ローテーションを組むのと同様に、近代野球で重要なポジションとなったのがクローザーだ。リリーフ陣を固めることが勝利を引き寄せる。オープン戦が終了したこの機会に「守護神」を深掘りしてみた。

シーズン最多セーブのタイトルは日本で74年に制定された。救援投手の貢献度は米国で提唱され、スポーティングニューズ社が独自のポイントで算出し60年から表彰。大リーグでは69年から公式記録として採用され、日本でも遅れて表彰が始まった。

74年の初代セーブ王はセが星野仙一(中日)、パが佐藤道郎(南海)。評価基準はセが74、75年と05年以降、パは74~76年と05年以降に最多セーブ。セの76~04年、パの77~04年はセーブポイント(セーブ+救援勝利)を対象に、最優秀救援投手として表彰した。

セーブ制定以前にも「8時半の男」こと宮田征典(巨人)らリリーフエースは存在した。セーブ制定後に限れば、最初に守護神として定着したのは江夏だった。江夏は77~83年に南海、広島、日本ハムの両リーグ3球団でシーズン最多セーブを史上最多の6度記録している。最近は外国人の守護神も珍しくなく、17年サファテ(ソフトバンク)は54セーブのプロ野球新記録をマークした。

セーブが表彰項目になり、投手の先発と救援との分業化は次第に浸透した。平成に入ると一層顕著になり、プロ野球全体の完投率は昭和の34%から平成で12%まで下がっている。シーズン10完投以上は昭和最後の88年だけで18人いたが、00~19年の過去20年で20人しかいない。