元阪神の石川俊介氏(35)が母校でもある青藍泰斗(せいらんたいと、栃木)高校の硬式野球部監督に就任することが23日、分かった。4月1日付で指導をスタートさせる。プロ1年目の08年にプロ初勝利をあげるなど、現役引退した12年まで阪神でプレー。19年秋に栃木大会を制覇している強豪校で指揮を執り、甲子園帰還を目指す。

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遠い甲子園で球音が響き渡っていた3月下旬、石川氏は栃木県内の墓前に線香を立てていた。

「監督になるよ」

上武大1年冬に亡くなった母・淳子さん(享年44)へ、静かに報告した。

07年秋、大学・社会人ドラフト3巡目で阪神入団。プロ1年目の08年は2勝をマークし、09年には開幕ローテ入りも果たした。

ただ、10年2月に右肘痛を発症してから歯車が狂う。思い通りのボールを投げられないまま12年オフに戦力外通告を受け、27歳の若さで現役を引退した。

13年以降は球団に残り、打撃投手や用具担当、マネジャー業務を歴任。18年限りで退団後は生命保険の営業マンとして靴底を減らす毎日を送っていた。

「いくらしんどくても、40歳ぐらいまでは保険屋を続けようと思っていました。社会を知らないといけない、と思っていたので」

ようやく仕事が軌道に乗り始めていた今年1月下旬、想像もしなかったオファーが舞い込んだ。母校の青藍泰斗高校から硬式野球部監督就任を打診された。

「いつか母校に戻れたらとは思っていましたけど、まさかこんなに早くとは…。ビックリしました」

18年12月には、学生指導に必要な「学生野球資格回復研修」を受けていた。ただ、青藍泰斗は19年秋に栃木大会を制覇し、20年秋も栃木4強に入っている強豪。「自分でいいのか」。悩んだ末、母校に恩返しする決意を固めた。

理想像は上武大時代の谷口英規監督だという。

「めちゃくちゃ厳しかったけど、自分たちのことを思って指導してくれていた。谷口監督の生きざまを見てきた。自分も頑張ります」

監督就任後は寮住まいで寮監も務める。目標はもちろん、同校では前身の葛生高校として90年夏に初出場して以来となる甲子園だ。

石川氏は葛生高校時代の甲子園経験こそないが、聖地では08年9月22日、横浜戦でプロ初先発初勝利をあげている。

「早く甲子園に戻りたいですね。子供たちにはただ行くだけじゃなくて何回もプレーしてもらいたい。素晴らしい球場ですから。初勝利の時の甲子園は今も忘れられないですけど、高校野球で決勝を戦ったら、もっとすごいんでしょうね」

元虎戦士が今春、再び甲子園という夢を追う。【佐井陽介】

 

◆石川俊介(いしかわ・しゅんすけ)1985年(昭60)8月12日、栃木県生まれ。会沢小4年時に軟式野球を始め、葛生中でも軟式野球部に所属。葛生(現青藍泰斗)高、上武大を経て07年大学・社会人ドラフト3巡目指名で阪神入団。1年目の08年は7試合登板で2勝0敗、防御率2・16。12年限りで現役引退。阪神球団職員を経て18年限りで退団した。1軍通算14試合登板で2勝1敗、防御率3・86。185センチ、83キロ。右投げ右打ち。