“努力の天才”が、一つの節目を迎えた。楽天涌井秀章投手(34)が「日本生命セ・パ交流戦」の広島戦で、プロ野球史上49人目の通算150勝を達成した。6回10安打5失点と苦しみながら、打線の援護もありハーラートップタイの6勝目。4点のリードをもらった1回に2点を返されるも、2、3回は3者凡退。4回から3イニング連続で失点も粘りの113球でリードを死守。首位のチームを3連勝に導き、2位ソフトバンクに2ゲーム差をつけた。両親の支え、高校時代の基礎づくりをもとに、17年目の今も試行錯誤を重ね、成長、進化をとめない。今年で35歳。心身共に円熟味を帯び、大台の200勝へカウントダウンをスタート。息子へ、母たつ子さんが手記を寄せた。

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ヒデ、150勝おめでとう。努力の積み重ねが報われてうれしい限りです。そしてたくさんの方々とのご縁のおかげで、この日を迎えられたことに感謝しかありません。

思い起こせば子供の頃は好き嫌いが多く、特に野菜が苦手で食べさせるのになだめすかしたり、それはそれは大変でした。中学3年の時、高校は寮のある所と考えていたので、とにかく体を大きくするために大好きなお餅を1回に8個から10個は食べました。入寮するまでに10キロ体重は増えましたが、入学後の1カ月の練習で10キロ痩せていました(笑い)。

けがが少ないとよく褒めていただきますが、小さい頃から痛いことや汚れることが嫌いで、スライディングは一切やらなかったし、自転車の練習も少しでも怖い思いをすると「乗れなくてもいい」と家に入ってしまうような子供でしたので、けがを一切したことがありません。

野球の基本的なフォームは父親との朝練習がベースになっていると思います。小学2年から横浜高校に入寮するまでのほぼ毎日、朝6時から1時間練習をしていました。父親が差し出したミットに投げられるまで何回も何回も投げていました。帰宅後はお決まりの「反省会」で時には泣きだすこともありましたが、そんな時でもトイレに行って出て来るとケロリとして父親と話している。あの切り替えの早さは今でも役立っているのかなと思います。感情を表に出さないのも小さい頃からですし、今まできついことも多々あったかと思いますが、1度も弱音を吐いたことはありません。

結婚し子どもも誕生し、家族が増えることが大きな励みになっているのでしょう。横浜高校の小倉元部長から「横浜高校野球部出身で一番タイトルに近いのは涌井の200勝だ」と言われ、本人も頑張ります! と気合が入っていました。

150勝という大きな節目に到達し、これからもけがなく健康で1日でも長くマウンドに立って、200勝の目標に向かって頑張ってくれることを祈るばかりです。

 

【楽天涌井】 5点も取られてしまったので、うれしさは半減です。普段に比べたら修正できているレベルではない中で、唯一追いつかれなかったことが勝利の要因。(通算150勝は)ここまで大きいけがもなくやってこられたので、それは両親に感謝したいです。(200勝へ)まだ50勝もあるので、見えている数字じゃない。(ヤクルト)石川さんもそうだと思う。長い年数をやっていると、あとどれくらい(現役を)やるんだろうと考えることが多くなる。大きな目標ではあるけれど、1勝1勝積み重ねていくしかない。

 

▼涌井が広島1回戦(マツダスタジアム)で今季6勝目を挙げ、プロ野球49人目の通算150勝を達成した。涌井の初勝利は西武時代の05年6月18日ヤクルト戦、通算100勝目はロッテ時代の15年7月24日楽天戦で、西武で85勝、ロッテで48勝、楽天で17勝を記録して達成。3球団で白星を重ねて150勝に到達したのは、川崎徳次(南海28勝、巨人70勝、西鉄52勝)高橋直樹(日本ハム138勝、広島2勝、西武10勝)に次いで3人目だが、川崎は100勝目と150勝目、高橋は1勝目と100勝目を同じ球団でマーク。1勝目、100勝目、150勝目をすべて異なる球団で記録したのは初めて。