今季限りで引退するソフトバンク長谷川勇也外野手(36)は13年に首位打者と最多安打に輝き、198安打は今でも球団記録、NPB歴代8位の記録となっている。元ソフトバンク担当が当時を振り返った。

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専大では東都2部で過ごし大きな脚光は浴びず、06年大学・社会人ドラフト5巡目で入ったプロも1年目は太もも骨折でリハビリ。3年目に打率3割を超え、コツコツと7年目の13年に打撃の新境地を開いた。「午前さま」も当たり前の打ち込み量はチーム屈指。自宅リビング、ホテルのベッド、食事中…とアイデアが浮かぶと構えた。自主トレは必ず単独だった。「誰か一緒だと俺もこれでいいかなと甘えが出る。苦しい時は自分1人でしか解決、打開できない」。

スイングの求道者は、こと野球に関しては昔から孤高に生きてきた。片道1時半かけて通った山形・酒田南高の朝練習は一番乗り。専大では「野球も勉強も中途半端」だったが、2年春に決心。「お金を払ってくれる両親に申し訳ない。どうせなら(施設の)電気代も使って、グラウンドの隅から隅まで走って、とことんやる」。大工兼農業で支えてくれた山形・鶴岡市の実家を思い、急にやる気スイッチが入った。専大野球部で同期だった岩瀬光紀さんは「人が変わったように練習を始めた。寮でもとにかく毎日、プロ野球中継。“変態”ですね。打撃を追求して、僕らには分からない部分も多かった」と証言していた。

当時、小まめに改良するフォームと対照的にバットは意外にも3年間同じだった。「ラケットのようでハンマーのよう。ポイントがどこ、とかではなく、全体に重さを感じるぼんやり感が大切」。面で打つ意識、重みを体で感じて脇をギュッと締める感覚を得られるものを探し続け、巨人高橋由伸モデルが体に合った。昔からプレーにひかれ、大学、プロでも同じ背番号24をつけたほど。運命の“伴侶”と出会えたことも大きかった。

「ぼんやり感」のバットを握る、伸びない左小指も安打を支えた。08年8月にバント練習で骨折し、曲がったままだった。「僕は手のひらでバットを握るので関係なかった。人はとっさの時、指先に力が入る。そうすると、肘が硬くなりヘッドが出てこない」。右の人さし指に左小指を乗せるオーバーラッピンググリップの適性をけがで認識できた。

打撃だけでなく、3度の骨折後のリハビリにも芯の通った生きざまがにじんだ。「その段階でやれることは一生懸命やる。地道なことをコツコツすると精神力もつく。それは試合で耐える力になる」。表立って大きなことを言わず、熾火(おきび)のような野心を胸に埋めて戦うタイプ。内面の強さが表われた首位打者、最多安打だったと思う。【07~09、12~14年ソフトバンク担当=押谷謙爾】