ロッテ佐藤都志也捕手(24)が16日、懐かしい場所へ戻った。

福島・いわき市の高台にある平第二中学校。午前9時38分に「これから避難訓練を行います」と校内放送が響いた。

しばしの間を置き、マスク姿で無言の中学生たちが教室から小走りで出てくる。3分後の同41分には全校生徒約300人が、校庭の真ん中で整列を終えていた。校長は「前回より良かったです」と訓示した。

傍らになぜか報道陣がいる校庭で、生徒たちは静かに正面を見続ける。平消防署の宗田雅裕消防指令が「ただ今から署長が講評を差し上げます。しばらくお待ちください」とあいさつ。しばらくし、赤い消防車両から降りたのは、ピンストライプに身を包む10年前の卒業生、佐藤都志也だった。

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高校1年の時、一度だけ練習で場所を借りた。本当に久しぶりに、母校に帰る。緊張していた。

「最初ちょっと『(自分のことを)分かんないのかなー』と思ったりもしたんですけど」

静寂の校庭は、教師が「盛り上がってもいいんだぞ?」と問いかけると、一気にわいた。声変わりしたばかりの野太さも、黄色い声も。たくさんの笑顔に歓迎された。

マスクに隠れた元気な表情を眺め、ここに通っていた自分の姿を思い出す。

「ふざけて遊んでばっかりで、やんちゃな中学生だったんで。でも、授業はしっかり真面目に受けてました」

中1から中2になる直前の3月、東日本大震災が起きた。

「あの日は学校が卒業式で、僕たちは北部清掃センターというところに野球をしに行ってて。地震後にすぐ帰ろう、ってなって下りていったら、石垣とか崩れたり、あちこちで煙が上がっていました」

いわき市内でも津波被害を受けた地域がある。原発に近い不安もあった。ライフラインも止まった。

「当時は断水とか本当に大変でした。生きるって大変なんだなって、あらためて感じました。それに、今こうやって好きな野球をしてお金もらって生きているのも、あの震災を経験して、もっともっと真摯(しんし)に向き合わなきゃいけないと思って」

多感な時期に直面した、命の尊さ。真剣に生きることの意味。立派な青年になって母校に帰ってきた。

「昔は避難訓練とか面倒くさいなと思ったりもしたんですけど、11年前の震災を経験して、身近にああいうことが起きたことで、防災や訓練が本当に重要なことなんだと気付かされました。1分1秒を争うところで生死を分けるので、非常に大事なところだと」

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プロ3年目を終えた。捕手でも一塁でも出て、中軸でも起用された。監督も代わり、三塁や外野でも試される。必要とされるから試される。「3割20本を打つくらいの気持ちで。それくらい打たないと、チームの中心になれないと思うので」。思いは熱い。

奮闘する先輩に、在校生からサプライズが。校歌斉唱をプレゼントされた。いい顔で、一緒に歌う。「意外と覚えてましたね。赤井嶽、夏井川、立鉾。歌詞にいわきの名所が出てきて、ここだよな~とか思いながら、懐かしくて」。

共通の歌で心を1つにし、思いも高まる。

「みんなから『見てます』って言われて。思っている以上に見てくださっている方がたくさんいるんだなとあらためて思いました。もっとここの卒業生の示しになれるような、この人が卒業生なんだ、って誇れるくらいの存在になっていきたいと思います」

写真撮影では、別に佐藤都や球団がお願いしたわけでもないのに「ハイ、チーズ」ではなく「コアラのマーチ」が合図に。最後は佐藤都が振り返り、生徒たちに提案。ルーキー広畑が考案し広めているMポーズを、全員でカメラに向けた。【金子真仁】

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