今オフに中日から戦力外通告を受けた平田良介外野手(34)が28日、自身のSNSを通じて引退を発表した。

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大阪桐蔭の黄金時代は、2005年の夏に幕を開けた。91年夏に元阪神萩原誠らを擁し、初出場初優勝。その後しばらくは雌伏の時が続いたが、3年ぶりに出場した夏の甲子園で4強入り。投打の中心選手の平田良介、辻内崇伸(元巨人)の活躍は、近い将来この学校が高校球界の主役になっていく迫力を感じさせた。

2回戦・藤代戦の5回1死一、三塁で、平田は自身の甲子園2号を左翼スタンドに打ち込んだ。高校通算66本目のアーチは、戦後の大会通算1000号。夏の甲子園史に残る記念弾になった。

その試合後、メモリアル弾の感想を求められた平田は「今日のボールは絶対に欲しい。『メモリアル』と自分で書いて、飾る場所も決めているんです」と目を輝かせた。実は、ホームランボールを自宅の人形ケースにコツコツためていた。その理由は「息子に見せたいんです」というもの。結婚する前から、息子に父親の背中を見せて育てると決めていた。

次戦の準々決勝・東北戦では先制弾、2打席連続弾、逆転のバックスクリーン弾の離れ業。84年のPL学園・清原和博(元オリックス)以来2人目の1試合3発で、大阪桐蔭を14年ぶりの4強に導いた。「この日の自分は何かをやりそうだった」と“予言”を的中させた。

平田の取材は楽しかった。高校最後の夏の大阪大会前、真顔で「おたふくかぜにならないことです」と気構えを語った。長期離脱は絶対に避けたいというのが真意。スーパー1年生と言われた中田翔(巨人)のことは「ぼくらのチームに高校4年生がいます」と表現した。独特の感性から生まれる言葉を聞くのが、楽しみだった。

ただ、どんなに聞く側を笑わせても、平田は常に真剣だった。だから、あの豪快な打撃が見られたのだと思う。忘れられない甲子園球児だ。【堀まどか】

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