阪神85年の日本一監督、吉田義男氏(89=日刊スポーツ客員評論家)が13日、ランディ・バース氏(68)の野球殿堂入り通知式でゲストスピーチを行った。伝説のバックスクリーン3連発が生まれた秘話を披露するなど、愛弟子を祝福した。【聞き手=寺尾博和編集委員】

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おめでとう、ランディ! 現役、監督時代を通じて、何十人もの外国人選手と接してきたが、間違いなくナンバーワンはバースでしょう。85年のリーグ優勝、日本一は、バース抜きではあり得ませんでした。

来日当初は打てばボテボテのゴロ、一塁と外野兼任の守備も上手とは言いがたかった。頭角を現したのは、わたしが監督になる前年の84年の夏場で、守備も一塁に専念してからでした。

入団3年目の85年、開幕広島戦でサウスポーの大野豊に4の0に抑えられました。同じ左の川口和久が先発だった2戦目の試合前ベンチ裏で、「岡田を3番にして、おれを5番に下げてほしい」と申し出てきました。

監督が選手を信頼して起用するには、我慢も必要です。相手投手の右左で外すつもりはなかったのは、バースの力を信じていたからです。その場で「お前を外すつもりはない」と突き返したのを覚えています。

その3日後の4月17日、甲子園の巨人戦で生まれたのが、伝説の「バックスクリーン3連発」でした。2年目を終えた前年に球団が下した方針は解雇でしたが、わたしから残留を求めた決断は間違っていなかったと感じました。

もともとは、バースと一緒に来日した外野手のスティーブ・ストローターのほうが働くと思っていました。重量バットでヘッドを利かせ、左方向に打ち返して打撃開眼したのは、本人の努力のたまものです。

あの「バックスクリーン3連発」で、チームが勢いづいたことは間違いありません。連続3冠王も立派で、86年の打率3割8分9厘は、いまだ破られていない日本記録として輝いています。

殿堂入りにふさわしく、当時を知る監督として敬意を表します。そして、苦楽をともにした岡田(監督)を応援してくれたら幸いです。これからの人生をエンジョイしてください。コングラッチュレーション!