日刊スポーツの名物編集委員、寺尾博和が幅広く語るコラム「寺尾で候」を随時お届けします。

   ◇   ◇   ◇

阪神が高知県安芸市で春季キャンプをしていた時代は、大物OB吉田義男(本紙客員評論家)と毎年現地に赴いた。1985年(昭60)に監督としてリーグ優勝、日本一を遂げた男は、当時チーム宿舎だった海辺の定宿にこだわった。

国道に出るまでの坂道には、いつもキンカンがたわわな実をつける。「今年は豊作で立派に育ったから、阪神はきっと勝つはずです」。黄金色で縁起物といわれる果実の出来栄えに、古巣の仕上がりを予言するのが常だった。

阪神の1軍キャンプが沖縄・宜野座村に移転して21年が経過した。2月の吉田はキャンプのパフォーマンスをテレビで追うのが日課だった。「岡田(監督)だけが目立ってましたな」と苦笑する。

拙者などと違って、キンカンの実でチームに起きていることを悟るのだから、ジャーナリストの性か、この一言にも“裏”があると妙に疑ってしまう。監督を支えるコーチの動きはどうでしたか? と聞こえてならなかった。

実際、キャンプ期間の2月の日刊スポーツ1面のメイン見出しは、『岡田』の6回が最多だった。ルーキー森下と並ぶ回数で、まさに新監督が主役だった。ここまでの岡田阪神を、吉田はいかに感じているのだろうか。

「テレビでしか見ていませんがキビキビしていたと思います。監督自身が思惑と違っていると感じているのは、投打の外国人でしょうね。打者は3番か5番、いや6番ぐらいに収まってくれればと思ったが、さぁどうなんでしょう」

特に守護神も視野に入れた新外国人ビーズリーの故障離脱は想定外。結局、拙者も1度しか生チェックすることができなかった。指揮官も苦々しく思っているに違いない。

「1983年に来日したバースも、同期入団のストローターのほうが評価は高かったが、日本に順応したのはバースだった。外国人はもう少し様子を見ないとわからない。それに湯浅も去年のように簡単にはいかんと思っているはずです」

この日の甲子園練習は太陽光線は降り注いだが、気温の上昇は望めなかった。投内のサインプレー後、打撃練習に入った。吉田は「打線のカギを握るのは大山。だんだん打つようになってくると思います」と期待を込める。

「それと内野のキーマンは中野です。キャンプでも守備練習に時間を割いたみたいだが、ゲッツーをとれる内野をつくってほしい。ショートも固定しないと。交互に使うチームはしんどい」

大御所から「よそも強くない。全体的にはまとまっています。WBCから中野が帰ってきた阪神の仕上がりを見たいですな」と告げられて別れた。(敬称略)