西武は26日、オリックスのプロ初登板初先発、ドラフト3位ルーキーの斎藤響介投手(18=盛岡中央)と対戦する。

プロの洗礼を浴びせられるか。大逆転CS進出へ燃える西武打線を、18歳が超えてくるか。西武担当記者としても注目したい。

ご縁あり、斎藤が14歳の時に話す機会があった。

19年秋、静岡・中伊豆。Kボールの全国大会が開かれ、アマチュア野球担当(当時)として取材に出向いた。斎藤は岩手県選抜の背番号11として準決勝に先発した。細身ながらバランス良く、球に勢いのある投手という記憶がある。

日刊スポーツでも記事量が少ない中学野球の現場へ行ったのは、理由がある。1年間追いかけた大船渡・佐々木朗希投手(現ロッテ)がKボール岩手県選抜の出身だったからだ。その原点を味わいたかった。

Kボールはシダックスの志太勤取締役最高顧問(88)らが01年、日本中学生野球連盟を立ち上げた際、独自に開発したボールだ。硬球は軟球より高価で危険性が高く、雨への耐久性も弱い。「それなら軟球と硬球の中間球」を作ろうと、野球人口減少を危惧した志太氏らが開発に携わった。

軟球から硬球への架け橋になったKボールは同時に、中学→高校の架け橋にもなった。学校の部活動に参加する中学3年生は、早ければ3年生の夏前に引退。成長期にもかかわらず、そこから高校入学までの半年以上が実戦ブランクになってしまう。志太氏らはこの時期にKボールを使っての全国大会を提唱した。

その狙いに共鳴したエリアの1つが岩手県だった。四国4県に匹敵する広大さゆえ、大会も早めに進行する。6月に部活動を引退する中学3年生もおり、高校野球にうまくつながっていかない。高校野球も全県としてレベルが上がらない。Kボールを導入し、各地区で選抜チームを作り、そこからさらにトップチームの岩手県選抜を結成した。

佐々木朗も大船渡や陸前高田などの沿岸南部の代表チーム「オール気仙」を経て、県選抜へ。当時すでに140キロ以上を投げた。プロ入り後、自身の投手としての成長にあたって「Kボールが良かったと思います」とも証言している。

県内のKボール第一人者でもある下川恵司氏(63)は、斎藤についてこう証言している。

「彼の中学は地区予選も勝てないチーム。それがKボールの地区選抜で頭角を現したので、5番手投手くらいの候補で県選抜にも選んだんです。そうしたらKボールになじんできて、最後の大会では県のエースになったんですよ」

斎藤自身も14歳当時、こう話していた。

「Kボールがなければ、たぶん夏休みはずっとゲームとかやってたのかなと思います」

さらに“打ち勝つ野球”を目指すため、岩手県内のKボール大会では独自に、ストライクゾーンをかなり広くしている。下川氏は話す。

「打者に積極的にスイングさせるため、わざとストライクゾーンを広くしたんです」

三振が嫌なら振るしかない。際どいコースを打つために、技術や思い切りも身につけていく。高校球児予備軍の打力が上がる中、思わぬ副産物もあった。

「投手の球が速くなりました。ゾーンが狭いと、中学の技術じゃまだ思い切り投げられない。どうしてもボールを抑えようとするから。Kボールはゾーンを広くしたから、その抑えようとするのがいらない。思い切り投げてアバウトに来ても、だいたいストライク。朗希は常に140キロ前後を投げてましたね」

Kボール事業と同時に、「生徒たちに自分で考えさせる」コーチング理論も広めていった筋書き通り、岩手球界は強くなった。

菊池雄星、大谷翔平、佐々木朗希と続いた。「なぜ岩手から大物が?」と注目される中、その系譜をこれから追いかける斎藤響介のデビュー戦になる。西武打線はいかに対応、攻略していくか。

なお、西武でも高橋光成投手(26)松本航投手(26)水上由伸投手(25)らが中学時代にKボールでプレーしている。【西武担当=金子真仁】