楽天銀次内野手(35)の現役引退に「(13年に)星野さんの下で日本一になって、泣きながら抱き合ってた。忘れねえよ」としみじみ話すのは、DeNAの田代富雄打撃コーチ(69)だ。

12年から4年間、楽天で指導したが、その前から銀次には注目していたという。ただし「苦労」という言葉が付いてくる。

横浜(現DeNA)で2軍監督をしていた頃。平塚球場での楽天戦だった。「キャッチャーやってたんだけど、ボールをピッチャーに返すのに、5回も、6回も腕を振ってからだったんだ」。銀次は送球イップスになっていた。捕手では致命的とも言える症状。田代2軍監督は、自チームの選手たちに「絶対にやじるなよ」と、きつく命じた。

「苦労してたなあ。あの姿が忘れられない」。ただ、当時から打力には目を見張っていた。敵ながら「しぶといバッター」という印象を持っていた。その後、横浜を退団。楽天で縁が巡ってきた。「打力を生かして、二塁にいってな。素晴らしい足を持っているわけでもなく、素晴らしい守備力を持っているわけでもなく。気持ちで打席に立ってたよ」。

バットマン銀次の特長を「芯で捉える技術の高さ」と言った。「長打力はないけど、芯で捉えるから、少しタイミングがずれてもヒットコースにいく。ベンチで見てて、いつも期待できるバッターだった。何かやってくれると信用してたな。そんな選手、なかなかいないよ」。多くの好打者を育てた名伯楽にとっても、指折りに成長した。

年俸も上がった頃。田代コーチは銀次に「家を買え」とアドバイスしたという。「現金で払います」と返ってきた。後日、銀次からこう言われた。「やっぱり税金のこと考えて、ローンにしました。でも、現金で買おうと思ったら買えます!」。わざわざ報告する律義さ。「性格がいいじゃん」とほほ笑んだ。

その性格を、星野監督もかわいがっていた。12年オフに銀次は結婚。披露宴に呼ばれた星野監督が差し出したご祝儀袋は、あまりの厚さに立った。息をのむ銀次。実は、中身は全て1000円札だった。星野さんの鉄板ネタになった。

田代コーチはこうも言った。「俺、ハイセイコーが好きなんだよ。地方馬から中央馬になって、G1とって。人生の励みになったんだ。銀次もさ、サラブレッドじゃなかった。でも、よく頑張ったよなあ。あいつの根性が好きなんだ」。伝説の名馬にもなぞらえ、18年間の現役生活をねぎらった。【古川真弥】

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