野球殿堂博物館は18日、今年の殿堂入りメンバーを発表し、プレーヤー表彰で、元横浜(現DeNA)、中日捕手でプロ野球史上最多3021試合出場、通算2108安打、中日で監督も務めた谷繁元信氏(53=日刊スポーツ評論家)が選ばれた。堅守の捕手として98年に横浜の38年ぶり日本一を支え、FA移籍した中日でも07年に53年ぶり日本一に導いた。日米通算203勝を挙げ、広島の球団アドバイザーを務める黒田博樹氏(48)もプレーヤー表彰で選出。特別表彰では元審判員の谷村友一氏(享年94)が選ばれた。エキスパート表彰は選出がなかった。

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谷繁氏は、いつもの人懐っこい笑顔のあと「まさか自分が」と繰り返した。両親、家族、歴代監督、スタッフに感謝を述べ、最後に「プロに入って27年間、耐え抜いた体に感謝したい」と言った。現役時の公称は身長176センチ、体重81キロ。決して大きくはない体で試合に出続け、史上最多出場まで上り詰めた。

原動力は「負けたくない」気持ち。試合やライバルだけじゃない。サイズを自覚するから「力の強い選手に負けたくない」思いも強かった。足りないものを常に考え、トレーニングに励んだ。睡眠、食事は人一倍。谷繁はケガをしていない-。そう見られがちだが、実際は違う。「肘も、腰も痛めたし、肉離れも骨折もした。でも、痛い箇所が治るまで何もしないんじゃなくて、痛い部位以外は常に強化できると思っていた」。負けん気が支えた積み重ねで野球史に名を刻んだ。

しかし、最多出場3021試合も「大した数字じゃない」。メジャーに目を向ければピート・ローズの3562試合を筆頭に、まだまだ上がいる。だから誇れる数字を問われれば、ともにギネス世界記録に認定された「捕手最多出場2963試合」と「本塁打最多連続シーズン数27」を挙げる。そして、もう1つ。「97年から2012年まで、ずっとAクラス。16年連続。やっぱり、そこがキャッチャーは評価されると思う」と、ひそかに胸を張った。

捕手はチームを勝たせるためにある。高1の夏に投手から転向したが、望んだわけではなかった。「なんで自分ばかり怒られるんだ」。そう思ったこともある。それでもイロハを覚えていくうちに、試合をコントロールする面白さに目覚めた。責任と表裏一体で、チームを勝たせられる。原動力が「負けたくない」谷繁氏にとって、天職だった。

後進の全ての捕手に贈る言葉は「早く、人それぞれ、キャッチャーとしての楽しみ方を見つけて欲しい」。自身の今後は「何らかの形で野球界に少しでも貢献できるように」。あまたの記録に、殿堂入りの栄誉が加わった。【古川真弥】

◆谷繁元信(たにしげ・もとのぶ)1970年(昭45)12月21日、広島県生まれ。江の川(現石見智翠館)で87、88年夏の甲子園出場。8強入りした88年は島根大会全5試合で計7本塁打。同年ドラフト1位で大洋入団。98年にチームの38年ぶり日本一に貢献。01年オフにFAで中日に移籍し、リーグ優勝4度、07年日本一。13年に捕手史上3人目の通算2000安打。14年から選手兼任監督を務め、15年の引退までプロ野球記録の3021試合に出場。27年連続本塁打、捕手で2963試合出場はギネス記録にも認定。ベストナイン1度、ゴールデングラブ賞6度。16年から監督専任もシーズン途中で解任。右投げ右打ち。